アドベント第3週 「最高の贈り物を」 マタイによる福音書2章1〜12節

アドベント第3週 「最高の贈り物を」

マタイによる福音書2章1〜12節

 今日でアドベント3週目を迎えました。3本目のロウソクに灯が灯りました。1本目のロ

ウソクでは預言キャンドルで希望を象徴し、2本目のロウソクではベツレヘムのキャンド

ルが平和を象徴していました。今日ともされた3本目のロウソクは、羊飼いのキャンドル

と言われます。天使がイエス様の誕生を宣言し、羊飼いは天使のお告げに応答してイエス

様の誕生をお祝いに行き、天使の宣言通りだったことをその目で見て喜びに満たされまし

た。その「喜び」を象徴しているのが今日灯された「羊飼いのキャンドル」です。この時

、多くの人々に喜びが訪れました。今日は、羊飼い以外の人に訪れた喜びを知り、共にそ

の喜びに与かりたいと思います。その喜びが訪れた人たちは、東方の博士たちです。

 

 話は変わりますが、贈り物やプレゼントを運ぶ人としてサンタクロースが知られていま

すね。サンタクロースという名前は、オランダ語のシンタクラースが英語に訛ったもので

す。そして、シンタクラースとは、聖ニコラウスを指しています。聖ニコラウスは、4世

紀の小アジアに実在した司教です。聖ニコラウスの伝承には、弱い人々を助けた話が多く

あります。特に、弱い人々を助ける時には、他の人に知られないように行っていたと言わ

れています。子どもたちに知られないように、煙突から入ってプレゼントを靴下に入れる

現代のサンタクロースのモデルになっているのもうなずけます。(カトリックでは12/6を聖

ニコラウスの日としていますが、その前夜にプレゼントを贈る習慣となり、その日がクリ

スマスに結びついたようです。)

 聖ニコラウスの行い、そしてサンタクロースがプレゼントを配る出来事は、マタイによ

る福音書のイエス様の言葉を思い起こさせます。

「3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 4あなたの施し

を人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに

報いてくださる。」」ーマタイによる福音書6章3-4節

 現代にも、私たちの目に見えないサンタクロースは沢山いるのでしょう。

 しかし、プレゼントを渡す動機は何でしょうか。何か見返りを求めてでしょうか。それ

とも義務感に駆られてでしょうか。そういう場合もあるでしょう。しかし、シンタクラー

ス、聖ニコラウスはイエス・キリストに仕える祭司でした。イエス・キリストを救い主と

信じたことに喜びがあり、主に仕えることができるところに喜びがあったと思うのです。

その喜びが、人々に知られずとも弱い人々を助けていった動機だったのではないかと思い

ます。その「喜んでささげたい」と思う聖ニコラウスの思いが、現代のサンタクロースに

変身したのかもしれません。

 その喜んでささげるモデルになった出来事はあるでしょうか。わたしはあると思います

。それが、東方の博士のイエス様への贈り物でした。今日は、イエス様に出会った博士た

ちの喜びと贈り物に目をとめつつ、喜びのアドベントの週をどのように過ごせばよいか、

主に聴いてまいりましょう。

1.ヘロデの憎しみと不安

 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。・・・」(1)

 ヘロデは、ユダヤ人とエドム人の間に生まれました。パレスチナの内乱の時にローマ人

の為に業績をあげたため、ローマ人の信用をえました。前47年には領主に任命され、前40

年には王の称号を受けました。彼の統治は前4年まで続き、36年もの間権力をふるってい

ました。ゆえに彼はヘロデ大王と呼ばれました。

 しかし、ヘロデは、非常に猜疑心が強い人でした。晩年には「殺意に満ちた老人」と呼

 

ばれたそうです。誰かが自分の権力の座をおびやかすと思えば、すぐその人を葬り去りま

した。彼は、妻とその母、息子3人を殺しました。皇帝アウグストゥスは、「ヘロデの息

子であるよりヘロデの豚である方が安全だ」と皮肉ったほどです。

 東方の博士が訪ねてきて、ユダヤの王が生まれると言われた時(2)、ヘロデは動揺し、そ

してエルサレムも動揺しました(3)。なぜなら、エルサレムの人達は、ヘロデがこの消息を

つきとめて、子どもを殺すだろうと想像したからです。

 ヘロデは自分も幼子を拝みに行きたいから探してくれと言いましたが(8)、彼の唯一の願

いは、王として生まれた幼子を殺すことだったのです。

 不安と憎悪と敵意に支配されてはならないのだと、教訓として、聖書を通して私たちは

教えられています。

2.預言の成就

 ヘロデはユダヤ教としてのバックグラウンドがそれほど深くはなかったということもあ

るでしょう。祭司と律法学者たちを集めて、どこでメシアが生まれるかと質問しました

(4)。

彼らは答えます。

「5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいもの

ではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 ミカ書5:1の引用であり、マタイが預言の成就と見ている箇所です。ただし、ミカ書で

は、「エフラタのベツレヘムよ」と言われていますが、マタイは「ユダの地ベツレヘム」

と、「ユダ」を強調しています。これは、よりイエス様のユダヤの起源を強調する為です

。ユダヤの名前が2度出ることで、マタイ1章の系図が族長であるユダを通しての王の系譜

であることを思い出させようとしています。イエス様は、ダビデ王が生まれた場所、ユダ

ヤのベツレヘムから生まれると預言されており、その預言は成就したのでした。

3.博士たち(1-2)

 占星術の学者は、マギと呼ばれる人々でした。ペルシャの国で祭司の役割を持ち、ペル

シャの国王たちの教師や助言者としても働きました。彼らは学者と呼ばれているように、

哲学、薬学、自然科学などに精通しており、その当時の天文学や夢の解き明かしなどもし

ていました。 イスラエルの民ではなく、その異邦人である学者達に王が生まれることが示

されました。福音書が示しているように、イエス・キリストの救いは、イスラエルだけに

とどまるものではなく、全ての人に及ぶ、全ての人の王であることが、この東方の博士達

の出来事からも見えてきます。

4.星の導き

 その学者達はある星を発見します。星の運行は一定していて、宇宙の秩序をあらわして

います。そこに突然明るい星が現れたり、特別な現象によって天体の普遍の秩序が乱れる

と、 それは神が創造の秩序を破って、何か特別なことを告示するのだと考えられました。

その星はひときわ明るかったのでしょう。 学者達は王の誕生を告知するものととらえまし

た。どのような現象だったかは、マタイの短い記述の中から推測するしかありません。ハ

レー彗星は前11年に空を流れたそうです。前7年には土星と木星が接近して強烈な光を放

ったと言われています。 前5-2年頃には異常な超新星のような天体現象が見られ、数ヶ月

間続いたようです。 エジプトのメソリ(王子の誕生という意味)という月の最初の日に、シ

リウス(天狼星)が日の出に昇って明るく光ったということもあったようです。 学者が見た

のはどの星であるかは分かりません。しかし、天体を見るのを専門としていた人達は、空

が明るく光ったのを見て、 王がこの世に生まれたことを知ったのです。

 

 学者は星を見てエルサレムに旅をしましたが、この時点では星に導かれたわけではあり

ませんでした。しかし、聖書は告げます。

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる

場所の上に止まった。」(9)

 ここでは、星がマギの前を動き、そして赤ん坊がいる場所を指し示すように止まりまし

た。 彼らはヘロデから聞いて、エルサレムから10kmほどのベツレヘムが目的地だとは知

っていました。 だから、星がそのことを告げる必要はありませんでした。 しかし、ベツ

レヘムのどの家を探せば良いかは分かりません。星は不思議な方法で、村全体ではなく実

際の家を指し示したのでしょう。その導きがあり、「学者たちはその星を見て喜びにあふ

れた」(10)のです。

 力なく、守られなければ生きていけないその赤ちゃんの前で学者達はひれ伏しました

(11)。力でねじ伏せるのではない、神様の世界が広がります。

5.最高の贈り物(11)

 「・・・宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた」

 学者達の贈り物は王に贈る最上のものでした。贈り物自体が王に贈る最高の品であった

のと同時に、それらの一つ一つにも意味がありました。

(1)黄金

 これは、 王としてのイエス様への捧げものです。 金は究極の価値あるものの象徴です

。もちろん家庭で所有できるようなものではありませんでした。黄金は金属の王とも言わ

れます。 人間の王にふさわしい贈り物です。 イエス様は王として生まれた方です。しか

し力ではなく、愛によって支配される方です。王座からではなく、十字架から支配された

お方です。  

(2)乳香 

    祭司としてのイエス様への捧げものです。 乳香は高価な香料で、宗教儀式にも、重要な

社会的行事にも使われました。 儀式に香料を使うのは祭司です。祭司とは「橋をかける人

(ラテン語でポンティフェクス)。」です。イエス様は私たちが神のみ前にでることができ

るよう、橋をかけて下さったお方です。  

(3)没薬 

    死者としてのイエス様への捧げものです。 没薬は、王がつける香水としても使われてい

ました。 しかしヨハネ19:39ではニコデモが十字架にかかったイエス様に没薬と香料を混

ぜたものを持ってきています。没薬は死体に塗るためのものでした。 イエス様は世に来ら

れ、人のために生き、人のために死なれました。人々に死と命を与えるため、すなわち、

古い自分を脱ぎ捨て、神様と共に生きる新しい命を与えて下さるためでした。

 クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日。 博士達はイエス様の王としての誕生を

喜び、そして最上の贈り物を捧げました。そのクリスマスは、どのように祝われたら、イ

エス様は嬉しいでしょうか。喜んで下さるでしょうか。 博士達がしたように私達もまた最

善のもの、最高のものを捧げていくことが必要です。でも、具体的には何になるでしょう

か。 人の為に生き人のために死なれたイエス様が喜んで下さる捧げものとは、私達もまた

人の為に生きる生き方そのものであるかもしれませんし、今誰かに愛を示すプレゼントか

もしれません。 クリスマス前の最後の1週間、イエス様を待ち望むその1週間、私が喜んで

捧げることのできる捧げものは何だろうか、一人一人が考え、行動する時となることを願

っています。羊飼いのキャンドルが象徴する「喜び」が皆様の胸に灯り、捧げる時となり

ますように。