「2033年に向かう夢」
使徒言行録2章14~21節
明日は敬老の日です。ちょうど湘南台バプテスト教会に赴任する前のズームでの礼拝で
宣教をしたのが、1年前の敬老の日の直前でした。ここまで教会を守り築いてこられたお
一人お一人に感謝いたします。また、今もなお熱い信仰をもって祈り、私たちを励まして
くださっていることを感謝いたします。そのような皆様のことも覚えつつ、ここまで生か
し育んで来て下さった主を礼拝したいと願います。
9/1〜9/8まで夏季休暇をいただき、久しぶりに家族や友人と交わり、多くの恵みをいた
だきました。母教会である北九州キリスト教会でも報告の時間をいただき、時間内に収ま
りきらないほどの湘南台での恵みを報告させていただきました。
帰ってきてすぐに、待ちに待った念願の1Fリフォーム工事が始まりました。月曜~昨日
土曜の夕方までかかる大工事でしたが、神様の導きにより最善の形で終えることができま
した。ご尽力くださった皆様に感謝致します。お手伝いに来てくださった方はイランから
来られたクリスチャンの方で、現在難民申請中でした。その中で国で受けた拷問や家族の
一部が国に残ったままだということを分かち合ってくれました。また、家族のために礼拝
で祈ってほしいとも言われました。イエス様を信じると告白するだけで拷問を受ける国が
あります。しかし彼の信仰は揺るぎませんでした。そのような彼の作業の一つ一つは本当
に丁寧で、その手の働きに祈りが込められているように感じました。彼のことを祈りに覚
えつつ、新しくなったこの会堂で礼拝をお捧げしています。
先週の礼拝では、青葉キリスト教会の三宅真嗣先生がメッセージに来てくださいました
。心より感謝いたします。ヨシュア記から、私たち一人一人は素朴な石であり、その石と
しての恵みをそのまま積み重ねていくことの大切さをお一人お一人が受け取ったのではな
いでしょうか。私もそのようにして母教会で証しさせていただきました。証しは人々を励
まし、神様を賛美することへと向かわせます。
時にかない、私たちは伝道開始31周年を記念して(30周年が間に合わなかったため)、記
念証し集を作ろうとしています。何を書けばいいか迷っておられる方は、ぜひ私にもご相
談ください。ご一緒に神様の恵みを探しましょう。証しの石をこの時に立てることは意義
深いことだと感じています。
今日の宣教題は、「2033年に向かう夢」です。昨年のメッセージで、2033年に伝道開始
40周年を迎えることを確認しました。霊を受けてお一人お一人が夢を見て、預言をすると
ペテロは伝えています。皆さんお一人お一人に当てはまります。イエス様と共に歩み、約
束の地へ向かう40周年を見据えつつ、幻(ビジョン)、夢を主に祈り求めてまいりましょう
。
1.一人ではない(14)
「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、
またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言
葉に耳を傾けてください。」
今日の箇所は、ペテロたちが熱心に心を合わせて祈っていた時、聖霊が彼らの上に下り
、様々な言葉で神様を賛美し、それを見た群衆が驚いたところから始まります。
それらの光景は群衆を驚かせ、そしてひきつけました。私たちも心から主を賛美し礼拝
している姿を見て、周りの人々は驚くかもしれません。そこに神様が開かれる道がありま
す。
ペテロは立ち上がり声を張り上げました。しかし、他の11人の使徒も、ただ座って聞い
ていたのではなく、ペテロと共に立ちあがりました。
話したのはペテロです。しかし、祈りと共に一緒に立ち上がったのは使徒たちです。こ
こに神様からの励ましがあります。私たちの誰かが証しをしている時、その人だけが孤軍
奮闘して立ち向かっているのではありません。そこには聖霊が働いておられ、そして、祈
りによって支える神の家族がいるのです。自分一人では到底立つことはできないと思う方
もおられるでしょう。私もそうです。しかし、だからこそ、教会があるのです。一人では
なく、共に立って支えている人達がいます。だから私もここに立ち、話すことができます
。皆さんも礼拝での証しをすることができ、また、周りの人と話す時に証しをすることが
できるのです。
ペテロは全ての人に語りかけました。この人は聞かなくてもいい、という人はいなかっ
たのです。僕も湘南台の全ての人に語りかけたいです。大切なことを語りたいし、全ての
人に耳を傾けてほしい、そういう思いを新たにさせられます。そして、全ての人に語るこ
とが、キリスト教会の使命であり、湘南台バプテスト教会がここに建っている理由です。
2.預言、幻、夢(17-18)
「『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたち
の息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。
わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する
。」
ペテロは預言者ヨエルの預言を伝えます。ヨエルが預言したのはイエス様が来られる数
百年前です。ペテロは、ヨエルの預言はイエス様が来られることについて言っていたのだ
と気付きました。
終わりの時は、イエス・キリストが来られてから現在に至るまでです。今も終わりの時
を私たちは生きていると言えます。その時、わたしの霊、神様の霊を注ぐとヨエルは預言
しました。他の誰の霊でもなく、神様の霊、すなわち聖霊を注がれた時、何が起こるので
しょう。それが、預言、幻、夢、です。
預言は、聖書の言葉は真実だと確信をもって語ることです。宣教も預言ですし、証しも
預言です。聖書に書かれたこの言葉によって私は励まされ、救われた、と証しするのは、
預言以外の何物でもありません。だから、クリスチャンは預言者なのです。
幻も夢もすべての人に与えられます。旧約聖書のヨセフも夢を見ました。神様の霊が注
がれた時、夢と幻は神様から与えられたし、終わりの時を生きる私たちも、神様の霊を注
がれることで夢と幻、ビジョンが与えられるのです。しかしこの夢と幻は、自分の目標が
叶う、というものではなく、神様の霊を注がれた人が、神様の御心が行われるために見る
夢です。だから、これは教会を形作る1人ひとりに与えられ、教会を通して実現される神
様の夢、だと言うことができます。
3.主の名を呼ぶものは救われる(21)
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」
主の日は、イエス様と共に来ました。ユダヤの人々も長い間、神の日、神が歴史に介入
される日を待ち望んできました。その主の日は、イエス様と共に来たのだ、とペテロは伝
えたのです。しかし、十字架で死なれ、復活されたイエス様が再び来られる時が来ます。
その日の描写はやはり旧約聖書同様新約聖書でも厳しいです。血と火と立ち込める煙は、
戦争の惨劇を思い起こさせます。
しかし、大事なことをペテロは最後に告げています。「主の名を呼び求める者は皆、救
われる」のです。私たちはこのことを信じています。主の名を、イエス様に助けを求める
人を神様は決して見捨てません。この地上で神様が共におられ、この世の生を終えても、
神様の国に行くことが約束されています。どんなひどい人生を送って来たとその人や周り
の人が思っても、どんな障害や病がその人にあったとしても、主の名を呼び求める人は、
例外なく、救われるのです。冒頭でお話した方も、そのことを信じているからこそ、拷問
に耐え、イエス・キリストは私の救い主です、と告白し続けているのです。
皆さんお一人お一人に与えられている神様からの夢があるでしょうか。ぜひ祈り求めて
みて下さい。そしてそれらが教会の夢になるかどうかも、ぜひ祈り求めてください。
私たちの夢の形は、総会での教会の計画にもあらわれてきます。
先週1週間で、大きな夢が実現しました。私の2024年の目標にも書いていたものでした
。それが、教会の床とトイレのリフォームです。
2023年度総会資料には、2024年度の活動計画としてこのように書かれ、承認されました。
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3.愛に生きる。
・もっといたいと思える空間作り
ほっと一息つける場所となることを目指します。
→インフラ整備
(1)床の修理 (2)ウォシュレット設置 (3)掲示板の充実
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総会で確認した私たちに与えられた夢の実現です。ここに来たらほっと一息つけるため
です。ここに愛があることをみんなが知るためです。
湘南台バプテスト教会がイエス様の愛に生きるための夢の実現です。教会のビジョンも
、そこから与えられた夢も神様のものです。
2033年は伝道開始40周年です。40はモーセが民と共に荒れ野を旅して約束の地へと導か
れる期間です。
その約束の地には何が待っているでしょうか。その約束の地に入るまでに神様はどんな夢
を湘南台教会に与えられるでしょう。その与えられた夢に向かって、私たちはどのように
進んでいくことができるでしょう。
私が牧師として赴任したのが2023年です。もうすぐ1年が経ちます。2033年まであと9
年です。この9年間を私も意識します。そして皆様にも意識していただきたいです。神の
家族としてここへ向かって共に歩んでまいりましょう。
ぜひ、今日の御言葉を覚え、2033年に向かう夢・幻が与えられるよう祈って見てくださ
い。そして、今年度作る証し集にもそれらの夢・幻が記されていくことを祈ります。預言
である証しの石と共に、夢・幻を祈り求めていきましょう。
まだバプテスマを受けてクリスチャンになっていない皆さん、神様は、イエス・キリス
トの十字架と復活の愛を信じて従う人に聖霊を送る、と言われました。そして、その聖霊
が皆さんに夢を与え、希望と祝福で満たしてくださいます。「主の名を呼ぶ者」とは、「
イエス様を信じて従います」と告白することです。他の人が救ってくれるかは私には保証
できません。しかし、イエス様は保証できます。神様ご自身が保証してくださっているか
らです。イエス様に、あなたの人生を委ねてください。その委ねた証しがバプテスマです
。必ず変化が起こります。