牧師と教会シリーズ6「
ヨハネによる福音書10章16~18節
8/19〜23まで能登に行ってまいりました。
さて、「牧師と教会シリーズ6」
先週と先々週で、私たちは次のことを学びました。
・イエス様私たちを守ってくださる門であること。
・イエス様は救いに至る門であること。
・悪い羊飼いは羊に対して責任を持たないこと。
・良い羊飼いは羊の名前を知り、特徴を知り、
・そのような本当の羊飼い、良い羊飼いがイエス様であること。
・その大牧者にお連れする小牧者が、教会の牧師であること。
・
今日のタイトルも、「教会の門をくぐりやすくする牧師と教会」
1.世界が一つになることができるのは、イエス様によってのみ(
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。
イエス様の凄いところは、
そして、イエス様はこう願っておられます。それは、
この箇所には3つの重大な真理が含まれています
(1)イエス・キリストにおいてのみ、
人間が一つとなる唯一の可能性は、
(2)一人の羊飼いによって一つの群れとなる。
一つになるということは、
能登ボランティアでは、兵庫、大阪、愛知、神奈川、
(3)イエス様の言葉は、一人一人に問われている。
このイエス様の望みを実現するために、
それはすなわち、
2.イエス・キリストの従順と自発性(17-18)
「17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、
十字架へと向かうイエス様が語られます。
(1)イエス様はその全生涯を、
イエス様が神の子であるというのは、
イエス様にとっても、私たちにとっても、
(2)イエス様は十字架の死と栄光とを一緒に考えていた。
イエス様は死ななければならないということを一度も疑いませんで
さらに、苦しみは一時のものだけれど、
(3)イエス様の死は完全に自発的なものだった。
イエス様はその状況の犠牲者ではありませんでした。
十字架がイエス様を刺し貫いたのではありません。イエス様が自ら
一つの群れとなることを願い、
その愛に応える生き方を、
皆さんは、
イエス・キリストが与えてくださった命、
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