「きよい手を上げて」
テモテへの手紙Ⅰ 2章5~8節
今日は父の日を覚え礼拝をお捧げしています。
父の日の由来は、1909年のアメリカでの出来事にあります。
日本でも母の日と父の日は同じように教会でも覚えて礼拝をささげ
しかし家族の絆は大切なものですが、
しかし、人と神様との和解、関係の回復を望まれる神様は、
1.神は唯一、仲介者もお一人(5-6)
「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・
まず覚えたいのは、神は唯一である、ということです。
神が沢山いるなら、ある神の尊厳をいつ損ない、
人々はいつも神々を恐れて生活していました。それらの人々が、
次に覚えたいのは、仲介者もお一人だということです。
仲介者とは、二つのグループや人の間に立って、
しかし、ここで仲介者は一人であるとパウロは伝えます。
もし一人の神、一人の仲介者でないとしたら、
多くの神、多くの仲介者がいるなら、
人間が互いに兄弟姉妹であるのは、一人の神、
その仲介者であるイエス様が、
2.宣教者として、証し者として、教師として(7)
「わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、
パウロは、自らではなく、神様から宣教者として、証し者として、
(1)宣教者・・・真理を伝える人です。
(2)証し者・・・「これは真実だ、わたしはそれを知っている」
教師・・・宣教者は事実を宣言します。
誰もがすべてのことを任命されているわけではないかもしれません
お一人の神、お一人の仲介者がおられ、
3.きよい手を上げて(8)
「だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、
初代教会は祈りについてはユダヤ教の様式を受け継ぎました。
ユダヤ人は、
イザヤは神がその民にこう言うのを聞ききました。
「お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
ここにいくつかのことが要求されています。
(1)祈る者は聖い手を前に伸ばし、上に上げなければならない。
神に向かって上げる両手は禁じられたものに触れたり、
(2)祈る人は、心に怒りがあってはならない
人間の赦しと神の赦しとは切っても切り離せません。
「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、
「しかし、もし人を赦さないなら、
私達の赦せないという心も神様はご存じで、
(3)祈る人はその心に疑いがあってはならない
争い(disputing) →διαλογισμός(ディアロギスモス)→
祈りが答えられる前に、
特に、子どもたちのために、共にきよい手を上げ、怒らず、
家族との関係で傷がある方は、
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