牧師と教会② 神のことばを宣言する牧師と教会 使徒言行録9章18~22節

牧師と教会② 神のことばを宣言する牧師と教会

使徒言行録91822

 

 今日は、牧師と教会シリーズ全10回の内の2回目になります。「神のことばを宣言する牧師と教会」です。

 宣言とは、「個人・団体・国家などが、意見・方針などを、他にも分かるように、外部に表明すること。」だと、辞書を引くと出てきます。宣言と聞いて思い浮かべるのはどんな場面でしょうか。わたしは、スポーツ大会などの選手宣誓が頭に浮かびます。そこにいる人全員に聞こえるような大きな声で宣言していく場面です。

 神学校時代、私は、神のことばを大胆に宣言していく牧師になりたいと思いました。それは、アメリカのサウスカロライナに2ヶ月滞在していた時に通っていた教会の牧師先生の影響が大きいです。その方は、南部バプテスト連盟の一教会の牧師先生で、私が初めてその教会の礼拝に参加したのはイースターでした。その牧師先生のメッセージにはとても大きな情熱を感じました。その時の聖書箇所をいまだに覚えています。

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」ーヤコブ1:21

 「悪を捨て去る」ことの大切さを、あらゆる表現を用いて、空気を震わせるような声で語られました。聖書の言葉が迫ってきました。今でもそれらの表現が私の心の中に残っていて、「悪を捨て去る」ことを神様は本当に望んでおられるのだ、と、この聖書箇所を読むたびに教えられます。その先生から、力強く宣言する姿・姿勢を学ばせていただきました。

 イエス様も語るべき時に語るべきことを宣言していかれました。

「そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。」ーマタイ417

 当時は拡声器もマイクもスピーカーもありません。「他にも分かるように意見を表明」しようとすれば、またそこにいる人全員に聞こえるように表明しようとすれば、きっと声の限りに、大声で叫ぶように話されたのではないかと想像します。空気を震わせるイエス様の声が響き渡っていたのだと思います。

 実際にイエス様が大声で福音を宣べ伝えられているところも聖書に記されています。

37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」ーヨハネ737-38

 しかし、ただ単にマイクがないので大声で聞こえるように話していた、というだけではないように思います。聖書には、父なる神様が熱情(パッション)の神であることが記されています。

「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。・・・」ー出エジプト記205

 熱情の神様から発せられる言葉が聖書の言葉なのです。だからこそ、大声で聞こえるように、ということを超えた大きな力をもって神様は熱を帯びて宣言します。み言葉は、人を変え、世界を変える力です。だからこそ、聖書の情熱が叫ぶようなものであるときには、その叫ぶ情熱を取り次ぐものでありたい、と思うのです。

 

 イエス様の救いを受け取った人は、その情熱をもって救う神様の情熱を伝えようと、イエス様と同じように力強く宣言していきました。今日ご一緒に聞いていく聖書の言葉も、そのように宣言していった人の姿が表されています。それはイエス様に出会ってすぐのパウロです。

 

18-19

「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、」

 うろこは、今までのパウロの間違っていた価値観でしょうか。それが取れてパウロは見えるようになりました。元通り見えるようになったというのは文字通り視力が回復したということだと思います。しかし同時に、神様が目的をもって造られた元々の自分に戻った、という感じがパウロからしてきます。

 神様を知り、今までの生き方から変わりたいと思ってすぐにバプテスマを受けているところにも、パウロから私達が見習うべきところがあります。

 パウロはおそらくアナニアを通してバプテスマを受け、3日間で初めての食事をします。体が元気になると、新しい霊的な力も流れ込んできました。食事は体のエネルギーであると共に霊のエネルギーにもなると教えられます。

 そして、数日の間だけだったとはいえ、パウロが与えたインパクトは本当に大きかったでしょう。

 

20

「すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。」

 ここに、パウロが神のことばを宣言している姿があります。「この人こそ神の子である」これ以上に力強い宣言はありません。声に出すとよく分かります。

 「神の子」とパウロがイエス様のことを宣言していることがとても重要です。             

 ダマスコへの道でパウロに現れたキリストは、「神の子」としてでした。神の子の称号は、旧約聖書でもイスラエルの人に使われ、油注がれた王に使われ、そしてダビデの家系から現れる未来の理想的な王に使われました。

「主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。」ー詩編27            

そして、新約聖書の時代の人は、メシアは神の子であると信じていました。      

「しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。」ーマルコ1461           

 また、イエス様ご自身がバプテスマを受けた時に「あなたは私の子」という天の声を聞きました。それは、唯一の父との関係と交わりを表していたのです。             

イエス・キリストの「神の子」という称号には3つの意味があります。             

1. 神への完全な服従

2. 神を究極的に表した(啓示した)

3. 神の権威を持った代理人

従って、「神の子」としてのイエス様を宣言することは、救い主として来られたイエス様であること、そして、神様を完全に指し示した方であることを宣言していることになるのです。             

 

21

「これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」

 パウロのことを聞いた人々が驚いたのも無理はありません。パウロはこれらのユダヤ教の会堂に、キリスト教を迫害するための公認をもらったということを伝える手紙を届けに来るはずでした。しかし、彼らはパウロの到着を期待して待っていたのに、パウロはイエス様の弟子を逮捕するどころか、ダマスコのユダヤ人を混乱させたのです。パウロは、全く違う働きを持つ者として現れ、弟子たちの証言は本当だったと宣言しました。イエス様は本当に救い主で、神の子だったと。しかも大祭司よりもっと大きな権威を持った方に任命され、イエス様の弟子とメッセンジャーとして。

 

22

「しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。」

 パウロが受け取った聖霊によって満たされることで、パウロの言葉はますます力強くなっていきました。聞いていたユダヤの人々が反論できないほどに。

 

 今日の御言葉を通して、神のことばを宣言していきたいという思いをますます高められています。しかし、神のことばの宣言は、ただ叫べばよいのではなく、声を大きくすればよいのではなく、聖霊に満たされ力をいただかなければその宣言を力強くしていくことはできないのだと思わされています。パウロ自身、別の聖書の箇所でこのように言っています。

「わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、”霊”と力の証明によるものでした」ーⅠコリント24

 そのためには、日々の私自身がする祈りに加えて、キリストの体である教会の皆様から、聖霊によって満たされるようにとの祈りをいただかなければこの宣言はできません。なぜなら、今わたしたちが捧げている礼拝の宣教は、私個人の宣言ではなく、教会の宣言だからです。パウロ自身も、神様から幻を頂いたのだから、その幻を実現する力も神様に求めています。「信仰・希望・愛に生きる」という私達に与えられた幻を実現していく力は、神様から来ます。そして「このお方、イエス・キリストこそあなたを救う神の子です」と宣言していくことが、私達の信仰・希望・愛に生きるビジョンの中核になるのではないかと今日の御言葉から示されます。どうか、教会のその宣言が力強くなされていくために、私の為にも祈ってください。

 

 教会としてイエス・キリストを宣言する使命があるとお伝えしました。教会はキリストのからだです。一つの体としてその体がイエス・キリストを宣言しているのです。このことを全員で忘れずに確認し続けていきましょう。

 

 私たち一人ひとりにも、聖霊の導きがあります。その導きによって、私達も自分の言葉で信仰を告白していくことができます。神様は、自分にしか伝えられない人を与えてくださいます。また、神様は、自分にしか伝えられない言葉を与えてくださいます。イエス・キリストを送ってくださった神様の情熱を宣言していく私であり、お一人お一人であり、教会と益々なっていくことが出来るように、今、聖霊の助けを祈り求めていきましょう。