「わたしたちは、見たことや聞いたことを語らないわけにはいかない」 使徒言行録4章12~22節

「わたしたちは、見たことや聞いたことを語らないわけにはいかない」

使徒言行録41222

 

西野修平の信仰告白と湘南台バプテスト教会の信仰告白

9.教会と国家(西野修平信仰告白)

 国家も神の支配のもとにある。国家は全ての人間の尊厳を守るべきだが、決して良心の主となることはできない。良心の主は神のみである。従って信仰による良心の自由及び政教分離の原則を主張する。教会は国家に対して常に目を注ぎ、このために祈り、神のみむねに反しない限りこれに従う。

8.教会と国家(湘南台バプテスト教会信仰告白)

 教会は、主であるイエス・キリストの教えに従って、政教分離の原則を貫き、国家に対して常に目を注いで、神の御心に反しない限り従い、国家のために執り成しの祈りをします。私たちの主なるイエス・キリストが、この世の諸権力に対しても、主として、又王として支配したもうことを、私たちは信じます。

 

 まず信仰告白を読ませていただきました。教会と国家に関する私の信仰告白と湘南台バプテスト教会の信仰告白に違いはありません。この世の諸権力(国家も)は神様の支配のもとにあります、私たちの主は神様だけです。だから、国家と宗教が結びついて別の信仰を強制されることがないように政教分離の原則を貫きます。そして、国家が政教分離の原則に違反しないよう教会は目を注ぎ祈り続ける、というものです。

 

信教の自由を守る日がなぜできたのか

 今日211日は、国民の祝日という観点から言うと、建国記念の日と定められています。しかし、日本のバプテスト教会や他教派のキリスト教会は、この日を「信教の自由を守る日」として大事にしています。私が物心ついたころから建国記念の日というのは存在しました。学校は休みになり、何となく得した気分になったものです。その感覚は今の子ども達も変わらないかもしれません。子ども達だけではなく、大人もこの日はカレンダー通りのお仕事であればお休みになり、ウィンタースポーツや余暇として過ごせる貴重な一日になっているということも多いでしょう。

 私もそのような感覚があったため、信教の自由を守る日、というのがなぜあるのか、長い間あまりピンと来ていませんでした。しかし、歴史を振り返ると、その意味に気付かされました。私が信教の自由を守る日を意識できるようになったのは、九州バプテスト神学校で藤田英彦先生から学んだバプテスト史と宣教論によるところが大きいです。少し先生から学んだことから分かち合いたいと思います。

 

 まず、日本国憲法20条と89条には、先ほど述べた信仰告白にある政教分離の原則が掲げられています。

日本国憲法(国民の権利及び義務)    

第二十条            信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法(財産)

第八十九条        公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 私たちには何を信じるかの自由があります。また、何を信じないかの自由があります。そのことが日本国憲法に権利として明確に記されています。だから、国がある宗教に特権と力を与えることでその宗教を信じさせたり行事に参加させたりしてはならないのです。

 

 1957年に岸信介が首相となり、日米安保条約態勢ができた時、岸信介が最初に携わったのが、自民党有志の議員立法による、「旧紀元節211日を建国記念日とする国民の祝日改訂法案」でした。当時は野党勢力が強く、法案は、廃案と再提出を繰り返しました。しかし、岸信介の弟である佐藤栄作が首相になった時、1966年に、成功した東京オリンピックの開会式の日を「体育の日」とする法案と抱き合わせで建国記念日を提案しました。法案は再び野党の反撃にあい、「体育の日」は成立しますが、「建国記念日法案」は議長預かりとなります。しかし、官房長官の私的諮問機関の答申の「建国記念「の」日を加える」が議会の議決を諮ることなく、内閣閣議で決定公布されました。

 なぜ建国記念の日をバプテストや他の宗教が問題にしたか。それは、紀元節を復活させようとする人達の意図を感じ取ったからです。紀元とは、歴史上の年数を数えるときの基準、また基準となる最初の年のことです。日本では明治5年(1872)に、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇即位の年とされる西暦紀元前660年を元年と定めて皇紀と称しました。それから「現人神」である天皇が統治する国家として戦争の道を進んでいったのはご存じのとおりです。その反省に立ち、問題はありますが日本国憲法のもとでは平和主義が掲げられ、1948年の国民の祝日に関する法律により紀元節は一旦廃止されました。しかし、1946年には皇室典範が大日本帝国憲法とほぼ同じ形で復活したり、211日を天皇の国として讃える建国記念の日にしようとする国体護持勢力が1951年あたりから地道に政治に働きかけをしていきました。そして1966年半ば強引に「建国記念の日」ができたのです。

 どれだけ強引でも、年月が経てばその時のことは忘れられ事実だけが残っていきます。当時の政府発表の世論調査でさえ、「賛成47%、反対53%」と反対が多かったと言います。しかし、今や私が感じていたような何か得した気分の日という感覚でその日は過ごされています。それこそが国体護持をしようと今も働きかけている人達の目指したことだったのかもしれません。その後もそれらの人達の働きかけによって、「靖国神社法案」や「元号法」等が次々と成立していき、国家神道の強化が図られて行きました。

 バプテスト連盟や他教派のキリスト教会、そして他の宗教は、この流れに気付き、国家が国家神道と結びつき政教分離の原則が犯されていることに反対の声を上げ、信教の自由を守る日が大事にされてきました。

 この運動が政治的だと言われてきた歴史もあります。しかし、国体護持という宗教が政治に働きかけて起こった流れに対して、それは政教分離の原則に違反すると声を上げるのは、宗教的な行いだと思います。もっと言うと、信仰告白の行いであると思います。冒頭にお読みさせていただいた、私たちの信仰告白です。

 

 今日導かれた聖書箇所からも、信仰告白の声が聞こえてきます。先程特別賛美で弟子の歌を歌って頂きました。私たちもその弟子に連なる者たちです。使徒たちに倣いたいと思います。ここでは、ペテロとヨハネが登場します。使徒3章で二人が神殿に祈りに行くと、足の不自由な人が座っていて、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(36)とペテロが言うと、その足の不自由な人は癒され立ち上がって主を賛美しました。そのことに驚いた民衆はペテロの説教を聞き、5000人以上もの人がイエス・キリストを救い主と信じました(44)。そのことでペテロとヨハネは捕えられ、議会で尋問されます。それが今日の箇所です。

 

12

「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

 信仰の力強い宣言があります。イエス様を信じることによってのみ完全な救いにあずかるという信仰告白と一致します。王を信じることによってでも、天皇を信じることによってでもなく、イエス・キリストによってしか人が完全に救われることはないのです。

 

13-14

 ペテロとヨハネは、ラビの学校で正式な教育を受けてはいません。また、特別な資格も持っていないガリラヤの漁師でした。しかし、彼らは自由にそして大胆に話し、議会を驚かせました。なぜ議員たちと討論できたのでしょうか。答えは難しくありません。議員たちは、この事実を知っていました。すなわち、彼らはイエス様と一緒にいたのです。

 イエス様ご自身もすごいラビの下で学んだわけではありません。しかし、権威をもって語ることができました。そして、イエス様はその賜物の一部分を弟子に与えました。癒やしもその一つです。足が不自由な人が癒されたことが何よりの証拠でした。

 素朴な人々が、いわゆる専門家と呼ばれる人たちと対決するのは難しいです。しかし、心にキリストを受け入れている人は、どんな高等教育も専門職も与えることができない、本当の資格を持っています。

 

15-18

 議員たちはどのような行動を取ればいいか分かりませんでした。ペテロとヨハネは足の不自由な人を癒すということにおいては何の律法も破ってはいませんでした。その行いで彼らを罰すると民衆の反感を買うだけだったでしょう。一方では、ペテロとヨハネに教えつづける自由とイエスの名によって癒やす自由を与えることも議会にとっては愚かなことでした。彼らの平穏な生活を脅かすことだったからです。 議会ができたことは、脅すことだけでした。

 

19-20

 神に従うことと人の言葉に従うことのどちらが正しいか。結果は一目瞭然のようにクリスチャンには思えても、実際の迫害が目の前にある時、大きな揺さぶりをかけられます。しかし、私たちが見たこと聞いたこと体験したことに真実があるなら、私たちはその真実を語り続ける義務と特権があります。そうせずにはいられないという促しが与えられるのです。

 また、私たちが真に恐れるべきは議会でもなく、上司でもなく、国家でもありません。ある人はこう言いました。「多くの人々が悩まされるのは、彼らの耳に神の声以上に、他の声が高く響いてくるからである。」

 イエス様もこう言っています。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」ーマタイ1028

これは脅しの言葉でしょうか。決してそうではありません。恐れないでいいもの、恐れるべきでないものを恐れるなという励ましであり、全てを支配している方だけを正しく恐れるところに本当の勇気が与えられることをイエス様は教えてくださっているのです。

 人が神とされる時、すなわち恐れるべきでないものを恐れる時、その人をすら利用して支配しようとする人が現れます。そして迫害・差別・戦争が起こります。私たちは、「イエス・キリストは私たちの救い主です」、「見たこと・聞いたこと、それはイエス様が私を救い助けてくださったことです。それが真実です。その真実を語らないわけにはいかないのです」との告白に立ち続けることを、ペテロとヨハネの姿から示されます。

 

21-22

 議員たちは脅す以外のことはできませんでした。民衆がこの出来事について神様を賛美していたからです。ルカは民衆の驚きの大きさを説明しています。すなわち、癒やされた人は40歳を過ぎていたということです。彼は、特に生まれつきの病を負っている場合はそのような癒しは通常起こらない年齢に達していました。でも癒された。民衆の驚きと癒された人の爆発的な喜びはどれほどだったでしょう。それをみては議員たちが脅す以外のことができなかったのは不思議ではありません。神様の御業を賛美するところに、変化は起こるのです。

 

 

 御言葉に導かれ、信教の自由を守るこの日に、私たちの見ている真実に基づき告白していきましょう。「イエス・キリストは私たちの救い主です。イエス・キリストの他に救いはありません。私たちがその証拠です。私たちは見たこと聞いたことを語らないわけにはいきません」、と。