「愛は、贈り物」 ヨハネによる福音書3章16節

「愛は、贈り物」

ヨハネによる福音書316

 

 

 今日はクリスマス礼拝です。四本目のろうそくにも火がつきました。この四本目のろうそくは「天使のキャンドル」と呼ばれています。このキャンドルは「愛」を象徴しています。クリスマスを迎えた今日、神様が与えて下さった愛を受け取ってほしいと願っています。

 今日の御言葉を思い巡らしていた時、3年前のアメリカに滞在していた時に神様が与えて下さった恵みを思い出しました。

 

 私は、2019年の3月から5月までアメリカのサウスカロライナ州に滞在していました。目的は、OMという超教派の団体でボランティアをしながら、世界宣教について学ぶことでした。ボランティアの内容は、大きな倉庫で本の仕分けをすることでした。

 OMは、デュロス・ホープ号という大きな船で世界中を周っています。そこでキリスト教の本を販売したり、船に招待した人に証しをしたりして、まだ福音が届いていない地域に福音を伝えることを使命にしています。

ボランティアには10カ国以上の人々が参加しており、三ヶ月にわたって共に生活をし、聖書を読み、祈りました。

 時々、OMでの生活を思い出して懐かしくなります。

しかし、最初の一ヶ月間は、多様な国の人々との生活に難しさも感じました。そして、どのように人間関係を築いていけばよいかが分からず、悩みました。元々、私は内向的な人間で、人間関係を築くのが得意ではなかったため、国際的な人間関係を築くのは日本にいる時よりも難しく感じました。

 

 その時に、同じボランティアをしていたモンゴルの人が、倉庫で本を仕分けしていた時に、1冊の本を見つけて、私に紹介してくれました。

それは、「愛を伝える5つの方法(The 5 love languages)」という本でした。ゲイリー・チャップマン(Gary Chapman)というクリスチャンのカウンセラーの方が書いた本で、世界中で翻訳されて多くの人に読まれています。

本の内容を簡単に説明すると、このようになります。私たちはそれぞれ、最も愛を感じる方法が違っています。したがって、相手が最も愛を感じる方法で接することで、その人を大事に思っているということを相手に伝えることができる、というものです。

 その愛を伝える方法は、大きく5つに絞ることができます。すなわち、肯定的な言葉(Words of Affirmation)、贈り物(Gifts)、何かをしてあげること(Acts of Service)、一緒の時間を過ごすこと(Quality Time)、身体的な接触(Physical Touch)です。

同じ言葉を話しているようでも、地域によって方言があります。意味は分かってもそのニュアンスが半分しか分かっていないということはよくあります。また、標準語を話している地域に行った時に、同じ地方出身の人と話すと、同じ方言で伝わり合う嬉しさも感じるものです。

 ゲイリー・チャップマンは、愛が伝わる方法は人によって異なることを、その方言に例えて、愛の言語(Love Languages)と呼んで説明しました。

私は、相手への伝え方ということを今まで全く考えたことがなかったため、とても本の内容に感動し、早速実践しました。すると、相手も心を開いてくれ、自分も相手に心を開くような関係を少しずつ作っていくことができました。

 

 

改めて今回この本を読み返していたところ、「贈り物」という愛の言語に意識が向かいました。冒頭ではこのようなエピソードが語られます。

 

 旦那さんを亡くした方をゲイリーが訪ねました。その女性は最近老人保健施設に引っ越したばかりでした。新しい住まいは少し狭く、家具のほとんどを持ってくることはできませんでした。

「子供たちはあのロッキング・チェアーも処分してほしかったみたいだけど・・・」女性は部屋の隅にある椅子を指して言いました。「でも、マーヴィン(旦那さん)が私にくれたの。だから、離れることはできなかった。」

「最初の子どもが生まれた時、子供にお乳をあげる時にロッキング・チェアーがあったら素敵ね、とマーヴィンに言ったの。そしたら、マーヴィンが1週間後にその椅子と一緒に家に帰ってきて本当にびっくりしたわ。」

「だから、このロッキング・チェアーがあると、マーヴィンと子供達が私と一緒にいるように感じるの。」

そのロッキング・チェアーは、その女性に50年間旦那さんからの愛を伝え続けた贈り物でした。

 

 皆さんにも、そのような忘れられない思い出の詰まった贈り物があるのではないでしょうか。ぜひ、今、そのような贈り物を思い巡らしていただきたいと思います。

 湘南台バプテスト教会に来ている今、特に私は、お花という贈り物に目が止まります。

 贈り物は、触れることができ、このように告げます。「あなたのことを考えていた。あなたにこれを持っていてほしい。あなたのことを愛している。」

世界で、贈り物が愛の表現ではないという文化はありません。贈り物は、その人を大事に思っているということを伝える手段です。

 重要なことは贈り物ではなく、その贈り物が伝える「愛」です。

 

贈り物は、聖書が書かれた言葉であるギリシャ語では「カリス」と言います。その意味は「恵み」です。

「恵み」には、自分が受け取るに値しない贈り物という意味があります。

贈り物はまた、サービスの見返りとして支払われるものではありません。

もし誰かが、「これをするなら、これをあげよう」というなら、それは贈り物でもなければ愛の表現でもありません。それはただの取引です。

 

16

贈り物の意味を確認したところで、今日の聖書の箇所を見ていきましょう。

多くの方は、好きな聖書箇所や、大事にしている聖書箇所がある思います。しかし、この箇所は、「全ての人の聖句」と呼ばれてきました。全ての人にとって重要な聖書のメッセージが、この短い箇所に込められているからです。

16節の前半には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と書かれています。

神の独り子です。親がその子をどれだけ愛しているかは、私たちにも想像することができます。親であればなおさら実感できるでしょう。

同様に、神様もその唯一の子どもであるイエス・キリストをどれほど愛していたのか、私たちには想像することが許されているのではないでしょうか。

 


しかし、その子を神様はこの世に与えてくださいました。ただ世に送ったというだけではなく、与えたのです。

神様がイエス様を世に与えたとはどういうことでしょうか。この意味は、イエス様が十字架の上で死ななければならないことも、神様は覚悟されたということです。覚悟したうえで、世に送ってくださったのです。

クリスマスの象徴的な色は緑と赤です。礼拝堂のアドベントキャンドルも緑と赤で彩られ、ポインセチアの赤色が、クリスマスの訪れを告げてくれています。

赤は華やかな色でもあります。しかし、クリスマスの赤色は、実はイエス・キリストが十字架にかけられて血を流されたことを象徴しています。

イエス様が世に与えられたという意味は、十字架の上での死を覚悟した上で神様がイエス様を送ってくださったこと、また、愛するご自身の独り子を犠牲にしてまでも私たちへの愛を示してくださったということなのです。

このアドベントにその愛を思う時、喜びと感謝とともに、主に頭を下げたくなるような、畏敬の念を感じずにはいられません。

 

また、神様が愛されたのは「世」であることをぜひ覚えていただきたいです。

神様が愛したのは、一つの国民だけではなく、善良な人々だけではなく、単に神を愛する人々だけではありませんでした。

神様を今愛している人も神様の愛を拒んでいる人も、神様の愛を知っている人も神の愛を全然知らない人も、

私たちの目から見て好ましい人も好ましくない人も、今満たされている人も今孤独な人も、

神様は愛しているのです。その愛は今ここにいる一人一人に注がれているのです。

 

16節の後半には、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と書かれています。

これも驚くべきことです。神様がイエス・キリストを世に与えて下さったのは、ご自身のためではなく、私たちのためだったのです。

滅びとは、肉体の死以上のことを指しています。滅びとは分離させる力であり、霊的には、神様との分離です。愛を知らずに、無意識の内に愛を求めて苦しんでいる人は大勢います。外見では分からない、魂のうめきです。

永遠の命は、肉体と魂の存続以上のことを指しています。クリスマスの象徴である緑もまた、永遠の命を表しています。春になると緑が一斉に息吹くように、新しい命をいただくことなのです。また、内面の魂のうめきから解放されることでもあります。

永遠の命を得るとは、神様の愛に満たされて、今新しい命となって生かされることなのです。

その命を与えたいと、神様はイエス・キリストを私たちに与えてくださいました。贈り物は恵みであり、受けるに値しないにも関わらず与えられた贈り物であると先ほどお伝えしました。

神様がイエス・キリストを通して示して下さった見返りを求めないその愛は、計り知れません。その愛が示されたのが、このクリスマスの出来事なのです。

 

贈り物は、「あなたのことを大事に思っている」ということを告げる愛の表現です。贈り物に値段は関係ありません。メッセージカードは愛の詰まった贈り物です。私も教会の姉妹からいただいたメッセージカードを大事に家に飾っています。

 

 

私たちも誰かのことを思い、贈り物によってその人を大事に思っていることを伝えられるクリスマスになるなら、イエス様を与えて下さった神様の大きな愛の一部を、お互いに確認できるかもしれません。

 

愛は神様からの真の贈り物です。見返りを求めない、取引でもない、神様からの贈り物です。

 

このクリスマスの時、神様の愛の贈り物をお一人お一人が受け取ることを祈りつつ。

 

 

 

 

巻頭言

メリークリスマス!今日はクリスマス礼拝です。四本目のろうそくにも火がつきました。この四本目のろうそくは「天使のキャンドル」と呼ばれています。このキャンドルは「愛」を象徴しています。クリスマスを迎えた今日、神様が与えて下さった愛を受け取ってほしいと願っています。

 

 皆さんは、贈り物をする習慣があるでしょうか?私は少し苦手なところがあります。でも、贈り物をした人から、もらって嬉しかったと言ってもらえたら、やはり私も嬉しくなります。父との思い出になりますが、私がバイクを初めて買った時、普段プレゼントをしない父が、黒い皮のジャケットをプレゼントしてくれました。最初は信じられず、「えっ、これ本当に父さんが買ってくれたん?」と何度も聞き返し、「しつこいの、そうやっち言いよるやろうがっちゃ」と言われたことを覚えています。もう少し素直にありがとうと言えばよかったな、と今では思います。

 ご夫婦で、ご家族で、友達同士で、プレゼントをすることがあるでしょう。どんなものが皆さんの心に今でも残っているでしょうか。ある人は高価なものをプレゼントするかもしれません。ある人は子どもからもらった誕生日カードかもしれません。ある人は明日には枯れるお花かもしれません。大事なのは、どれだけ高価なものかではありません。その贈り物を通して「あなたのことを大切に思っているよ」というメッセージを伝えることです。プレゼントそのものではなく、プレゼントを通して伝える「愛」が大事なのです。

 

 

 神は愛です。それが分かるのは、イエス・キリストがこの世に与えられたからです。その神様の愛に心から感謝しつつ、クリスマスを共に喜びましょう。