「さあ、ベツレヘムへ行こう!」 ルカによる福音書2:8~16

「さあ、ベツレヘムへ行こう!」

ルカによる福音書2:8~16

 

 今日はアドベント第三主日礼拝です。

 3本目のロウソクにも火が灯りました。3本目のロウソクは「羊飼いのロウソク」と呼ばれています。そのロウソクは喜びを象徴しています。伝統的なアドベントキャンドルでは、1,2,4週目は紫色のロウソクが、今日の3週目のロウソクはピンク色が使われます。紫は高貴さや悔い改めを表す色で、この3週目のピンクは、喜びを表す色です。

 

 この喜びを聖書の御言葉によって感じた人に、ヘンデルという作曲家があげられます。ヘンデルは、有名な『メサイア』、別名「ハレルヤコーラス」を作曲した人です。クリスマスには、この『メサイア』がいたるところで歌われます。私たちの地域にある藤沢市民クリスマスでも、メサイアが歌われ、私も初めて参加してきました。それぞれのパートが複雑に絡み合っており、パートごとの旋律も度々変わるので、しっかりと音を取って練習しないとまったくついていけなくなる、難易度の高い曲でもあります。しかし、そのパートが合わさった時には、言葉に表せないような感動を覚える曲でもあります。この『メサイア』は、

〈神が人類に与えて下さった最高の音楽〉とも言われています。                              

 ヘンデル(1685-1759)が『メサイア』を作曲したのは、彼が56歳の時でした。それは、彼の生涯の中で最も暗く苦しい時でした。ヘンデルは、脳卒中のため、右半身がマヒし、リウマチでからだの動きが取れなくなっていました。また、ヘンデルの音楽の理解者であった当時の王妃も突然の病で亡くなっていました。病気と絶望と貧しさの中で過ごしていたある日、聖書の言葉が、ヘンデルの心に突然閃きました。それはイザヤ書53章の言葉でした。

「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。」

 繰り返し繰り返しヘンデルの心の中に響き渡り、彼は聖書を開きました。イザヤ書53章を読むと、ヘンデルの心の中に、救い主イエス・キリストに対する信仰が火のように燃えあがりました。彼は貧しいアパートの一室でペンを握ると、一気に『メサイア』を書きあげました。あれほどの大曲にも関わらず、『メサイア』は24日間で完成しました。                       

 『メサイア』が完成したそのとき、ヘンデルの目から涙があふれていました。ヘンデルも、「私は、天国が自分の目の前に広がり、神ご自身を見たような気がした」と言ったそうです。そして1743年、『メサイア』がはじめてロンドンで演奏され、ヘンデルはそこからさらに用いられていくことになるのでした。ちなみに、ハレルヤコーラスが始まると聴衆は立ち上がる習慣がありますが、それは、当時ハレルヤコーラスを聞いたイギリスの王様が、あまりの美しさと迫力に圧倒されて立ち上がったからだそうです。

 天国の賛美の圧倒的な美しさと喜びを、地上の目に見える形で、表してくれたのがヘンデルの『メサイア』だと私は感じます。私たちの教会でもまたハレルヤコーラスを歌うことができれば、と願っています。

 

 ヘンデルは、御言葉からイエス・キリストへの信仰の喜びを燃え上がらせ、ハレルヤコーラスを書くことへと導かれました。しかし、実際にその天の賛美を聞いたのが今日のロウソクの名前がついている羊飼いです。今日は、その羊飼いに現れた神様、そしてその後の羊飼いたちの行動に思いを馳せつつ御言葉に聴いてまいりましょう。

 

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 「羊飼いは野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」とあります。冬の野宿はどれほど寒いことでしょうか。夜通し見張りをしておかなくてはならないのは、過酷な仕事です。しかし、それほど過酷な仕事にもかかわらず、当時の羊飼いは社会的に評価されない仕事でした。それどころか軽蔑すらされていました。なぜなら、羊の群れを絶えず見張っていなければならない羊飼いにとって、当時の律法を守るということは到底不可能だったからです。しかもそれだけ重労働にもかかわらず、得ることのできる賃金は多くありませんでした。

 

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 しかし、その羊飼いたちに天使が近づいてきます。栄光が周りを照らし、羊飼いは恐れます。最初はきっと怖かっただろうと思います。当時の夜はロウソクの明かりだけなので、本当に真っ暗です。その暗闇にいきなり光が差すと戸惑うかもしれません。

 

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 しかし天使は言います、「恐れるな!」。強い励ましの言葉から始まります。「私は、あなたたち民全体に与えられる大きな喜びの知らせをもってきたんだ」と天使は言います。民全体への喜びは、小さな羊飼いの群れにまず与えられました。ページェントというイエス・キリストの降誕劇では、だいたい3人くらいの羊飼いが登場します。そこから民全体に喜びが広がっていったのです。湘南台の民にもこの喜びが告げられています。まず、私たち湘南台バプテスト教会という羊飼い達のような小さな群れに、その大きな喜びが与えられました。羊飼いと湘南台バプテスト教会が重なって見えます。

 

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 その喜びは何なのか。天使は続けて言います。今日、ダビデの町で救い主が生まれた、と。イエスという名前は羊飼いたちには告げられません。しかし、代わりに天使が告げた名前は、救い主、主、メシア、です。救い主・救世主は皇帝にも使われている言葉でした。しかし、天使は本当の救い主が生まれるということを告げたのです。すなわち、それは罪から救う救い主です。主という言葉も皇帝や後援者を差して使われていましたが、天使はここでは神がこの世に生まれることを指して主と言っています。私たちが主イエス・キリストと呼ぶのも私たちの神という思いを込めて呼ぶのです。メシアはヘブライ語で「油注がれた者」という意味ですが、王や祭司がその職につく時に油を塗られ、特別にその任についたことを表していました。そのギリシャ語が「キリスト」です。ヘンデルが作曲した『メサイア』は、まさにこの油注がれた方、特別な方、救い主であるイエス様のことを高らかに歌っているのです。

 

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 しかし、その世の罪を取り除く救い主、主、メシアが生まれるという世界にとっての一大事件に対して、羊飼いに与えられたしるしは神殿や豪華なお城ではなく、飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見る、というものでした。救い主・主・メシアが飼い葉おけで寝ているのです。ある王様は言いました、「民衆の生活を知らなくてはわたしは彼らを治めることができない」。わたしたちの神は、わたしたちの生活を知っておられる神様です。民の中で生まれた下さったのが主イエス様なのです。

 

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 そして、一人だけだった天使に天の大軍、聖歌隊が加わり讃美の大合唱が起こります。まさにヘンデルの『メサイア』のハレルヤコーラスの本物の場面です。救い主が生まれるという神様の御業への反応として、天使たちも賛美をします。しかもこれは、神殿の中で起こったのではなく、羊飼いたちの生活する外で起こったのです。栄光は神殿だけでなく、教会だけでなく、この世界に表されます。栄光が神にあるように、と。また、地には平和、御心にかなう人にあれ。と歌われます。平和がイスラエルのみにあれ、とは天使は歌いませんでした。神様の御心を求める全ての人に平和が訪れることを、神様は約束して下さっているのです。だからこそ、民全体に訪れる大きな喜びなのです。

 

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神様の御業が起こされるという知らせを聞いたら神様を賛美せずにはいられないということを、天使達ら実際に賛美をして示しました。羊飼いたちはどうしたでしょうか。「さあ、ベツレヘムへ行こう!神様が知らせて下さった出来事を見よう!」、これが羊飼いたちの反応でした。天使の招きを受けた人の反応がいくつかあります。バプテスマのヨハネのお父さんであるゼカリヤは、高齢になって子どもが生まれるという天使の言葉を最初は信じませんでした。ヨセフは、マリアが聖霊によって身ごもったという天使の知らせを聞き、マリアを奥さんとして迎えました。マリアも聖霊によって身ごもったという天使の知らせを聞き、神様の目的があることを心に留め、神様の僕であると告白し、親戚の家まで旅をしました。しかも急いで行ったとあります。

 羊飼いも、マリアのように、急いでマリアとヨセフのところに行きました。そして、羊飼いは、天使が話してくれたことを人々に知らせました。つまり、ルカによる福音書では最初の福音の伝道者だったのです。そして実際にイエス様が生まれたところを見て、天使の言ったことが本当であったことを体験し、天の大軍が賛美したのと同じように、彼らもまた賛美をしました。もしかしたら、ハレルヤコーラスを歌いながら帰っていったのかもしれません。

 

 天使が羊飼いにイエス・キリストの誕生というよい知らせをもたらしてくれたように、ルカは、私たちのためにこの福音を知らせてくれました。私たちはどのように反応するでしょう。ゼカリヤのように最初は信じないでしょうか。それとも、羊飼いのように、このお方こそ私の救い主だと信じ、神様を賛美し、その知らせを喜んで人々に知らせるでしょうか。

 

 「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。来週のクリスマスまでの1週間、お一人お一人のためのこの良い知らせが皆様の中に響き渡りますように。そして、お一人お一人の神様への讃美の心、従いたいという信仰が新たに起こされますように。