「愚かな金持ち」2023年2月19日ルカによる福音書12章13-21節

「愚かな金持ち」2023219日ルカによる福音書1213-21

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1、導入

 フィリピンの刑務所から指示を出していたグループが逮捕されました。利用された人はそれぞれ借金がありました。借金を返えせないので、手早く返せる方法をスマホで探し、強盗殺人を次々と犯しました。

「人はそれぞれ自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。」(ヤコブ1:15

 人間は欲望という罪の塊であることを聖書は語ります。自分にしっかり言い聞かせる必要がある御言葉でしょう。

2、財産が貯まる喜び

一人の男がイエス様に近づいて来ます。イエス様に言います。「私にも財産が与えられるように話して下さい。」とお願いします。財産がなぜほしかったのか理由は書いてありません。彼は財産が欲しかったのです。「イエス様ははっきりと「私は調停人ではありません。」と断ります。

そこでイエス様は譬え話をします。1618節です。

  一人の金持ちの話です。この金持ちの畑が豊作になりました。そこで金持ちは「作物をしまっておく場所がない」と言います。大変喜びました。倉に入り切らないほどの豊作でした。そこで倉を壊して、もっと大きなのを建て、穀物と財産を皆しまい込もう」と語っています。原文では「私の倉を壊して」「私の穀物と」「私の財産を」となっています。「自分の、自分の、自分の」と自分の財産をかき集めるように貯えています。今で言えば通帳に財産を蓄えるようなことでしょう。通帳にお金が貯まることはうれしいことです。また安心することでもあります。いくら貯まった。我慢してお金を使わなかったので、いくらに増えた。自分の財産は自分で管理して誰にも渡さず、誰にも見せず、生活するのです。

 この金持ちは言います。「19:さあ、これから先何年も生きていくだけの貯えが出来たぞ。一休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」

彼はある程度余裕も出来ました。今だったら温泉でも行きたい、ハワイ旅行でも行きたいと私たちが考えるのと似ています。これまで苦労して来たからその位は当たり前だと思うものです。それは人生の喜びになり、楽しみになります。悪いことではないと普通は考えます。

3,命の事柄

20節「しかし神は、愚か者よ。今夜お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、一体誰のものになるのか」と言われるのです。

 神はこのような「貯めて準備をして、楽しもうとする賢い金持に対して「愚か者」と言われてしまいます。そして「今夜にでもあなたの命は取り上げられる」と言われます。あなたの命は今夜にでも霧のように消えていくのだ、財産は人手に渡り、いつの間にか消え失せてしまうのだというのです。

神様は世の財産と対比して「命」について語るのです。

15節です。15:有りあまるほどの財産を持っていても人の命は財産によってはどうすることもできない。」と言っています。財産は命の根拠にはなりません。財産が与える命はこの世の命です。この世限りの命です。それは本当の命ではないのです。

イエス様は本当の命とは何であるかを伝えたいのです。命はお金や財産ではどうすることもできません。

イエス様は「有り余る財産を根拠にしない全く別の命」があるというのです。財産やお金からは生まれることのない「もっと神聖で、永遠で、消え失せることのない全く別の命がある」というのです。この前ペピータライオンで本当においしいトマトを食べました。本当に一味違った別なトマトでした。本物のトマトだと思わず叫びました。トマトはトマトでも「別のトマト」です。命は命でも別の「永遠の本物の命」があります。多少難しい言葉言えば「形而上学的な命」です。

それは神様が下さる命です。「聖なる命」「永遠の命」「神が賜る命」「まことの命」「不死の命」「主の命」などたくさん呼び方があります。イエス様はこの命を得て生きるようにというのです。

4,イエス様は命です。

イエス様は言われました。「私は道であり、真理であり、命です。」(ヨハネ14:6)「私はよみがえりであり、命です。」(ヨハネ11:25)「私は命のパンです。」(ヨハネ6:35

 イエス様ご自身が命なのです。本当の命はイエス様ご自身のことを言うのです。この命のパンを食べなさいと聖書は語ります。イエス様の言葉はこの世のものではない「命のことば」で生かして下さいます。イエス様と関係ができる時に私たちは「まことの命」を頂くのです。

 最近思うことは「本当の物」を皆探しているということです。夫婦なったけど、「本当の愛はどこにあるのだろうか。」「立派な会社に入ったけれど、本当の人間関係はあるのだろうか。」「皆愛想はいいけど、愛に近いものたくさんあるけど、ほんとの愛とは何かちがうなあ」と思いながら生きているのではないでしょうか。それに気づいて考えると不安に耐えられずあまり考えないようにしよう、見ないようにしようと生きているのではないでしょうか。

子どもも立派に育ったし、家もそれなりに与えられている、それなりに家族や子どもも育てることが出来ている。しかし何か不安がつのっている感じがする。これでいいのかと思っている人のではないでしょうか。イエス様の命は本当の命なのです。

イエス様が与えて下さる命は「嘘のない誠実な命です」「イエス様が下さる命は一時的な命ではなく、永遠の命なのです。この命に日々生かされてまいりましょう。私に信頼する者は失望に終わることがないと言われるとおりです。

 第二にイエス様の命は滾々と湧きあがる命です。「私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水が湧き出る。」(ヨハネ4:15)と言われます。

 命の水は決して枯れることはない。命の水は決して渇くことはない。この水が呼び水となって永遠の命に至る水が湧き出てくる。

「谷川の流れを慕う 鹿のように

主よ 我が魂 あなたを慕う

あなたこそ 我が盾 あなたこそ 

我が力 あなたこそ 我が望み

我は 主を仰ぐ」

最近は辻井伸行さんのクラシックのピアノは心を満たしてくれます。お金は色々なものを買えるので私たちの心を満たします。新しい服や靴も心を満たします。車や家も心を満たしてくれます。物だけではなく、精神的なものも心を満たしてくれます。親子の愛情は心を満たします。孫や子どもは心を満たしてくれます。夫婦の愛情も心を満たします。友や同僚がいることも心を満たしてくれます。天城山荘での昔の青年大会の写真・全国少年少女大会の写真は心を満たします。素晴らしい映画アバターを見ました。心を満たします。スポーツも感動を与えてくれます。ボクシングの井上尚弥の4団体統一戦は感動しました。しかしこれらも一時的なものです。

これらにまさってイエス様が与えて下さる「永遠の命」は無くてはならぬものです。「イエス様が下さる命」は渇くことのない、永久の命です。

第三に恐れずに永遠の命を求めよう

12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」

この聖句は私にとって特別な聖句です。神学部に入る時に大学のチャペルで証しする機会を与えられてこの聖句を使いました。200名ほどの教授や学生の前で証しでしたので緊張しました。「恐れるな」とありますが、私の心は恐れで一杯でした。神学部の試験に合格するだろうか、友人たちは何というだろうか、神学部で続くだろうか、こんな自分で良いのだろうか、バプテスマを受けて3年目で大丈夫だろうか、23歳の私は不安がたくさんありました。でもこの言葉を頼りにして神学部での学びが始まったのです。神の国を下さることは本当だと言えます。恐れがあっても神の言葉を信頼して進む時に私たちは大きな平安と安らぎを与えられます。神の言葉を信頼しつつ今週一種間を歩みましょう。