【イエス様の涙】2023年2月5日ルカ19章41-48節

【イエス様の涙】202325日ルカ1941-48

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1,エルサレムへ

 今日の個所はイエス様が涙を流されたことから始まります。41:エルサレムに近づき、都が見えたとき、その都のために泣いて言われた」とあります。

 神は嘆き、涙を流すのです。何故泣かれたのでしょうか。ルカ13章に次のようにありあす。

「私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外で死ぬことはありえないからだ。エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽根の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じようとしなかった。」

 イエス様は雛を母鳥が羽根の下に集めるように愛しました。暖かく包みました。しかしその愛に人々が応じることは無かったのです。イエス様の愛は伝わらず、自分はエルサレムで殺害される。イエス様はペテロを愛し、ヤコブを愛し仕え、教え、「助けたのです。しかし人々は自分を十字架につける。イエス様の熱い愛情けと感情は湧き上がり、痛む人への愛を抑えることが出来ず、その愛は惜しみなくささげられました。しかしイエス様はエルサレムで、十字架につけられ、見世物にされ、あざけられ、釘で刺され、強盗と同じようにされて十字架で裸にされて殺害されます。

自分の死に方を思わない人はいないでしょう。皆さんはどのような死に方をするでしょうか。皆さんはどこで死にたいですか?家族に看取られて家ですか、病院ですか?ある日突然ですか?野垂れ死にでもいいですか?孤独死でも構いませんか。功なり名遂げて立派に死にたいでしょうか。

イエス様は神の御心を語り、福音を語りました。神の御心を生きて、今日も明日もその次の日も神の御心を行うために、進んでいかれました。しかし人々に裏切られ殺されるのです。愛した報いは十字架の死でした。イエス様の死は無残な十字架で終わります。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれた。」(ヘブ5:8)とあるとおりです。自分の功名心ではなく、神の御心を生きる十字架でした。

2、その要因や原因

42:もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたらなら・・・しかし今は、それが今はお前たちには見えない。」と語り始めます

「平和への道をわきまえる」とはどんな意味でしょうか。「お前たちには見えない」とは何が見えていないのでしょうか。私たちはこの問いかけの前に立たされます。分級とはこの問いかけを掘り下げ学んでいく時です。

イエス様が求めたのは「平和への道」でした。戦争、分裂、争い、敵対関係、対立ではなく、和解、対話、互いの認め合うということでした。その平和を十字架につけられるまでに追い求めていかれたのです。

しかし人々はその道を知らず、軽蔑、見下し、対立、争い、下卑た非難合戦、自分を守るために相手の責任にする傲慢でした。平和とは全く逆です。それでも悔い改めることは無く、平和への道を閉ざす歩みでした。

イエス様はこの「現代でも見えない平和、その願いと祈り」を求めるようにと祈っているのです。この願いを私たちの生きる原理にするように聖書は求めているのではないでしょうか。

「今はそれがお前に見えない」というイエス様のこの問いかけに誠実に答えて見えない世界、平和の世界を生きることです。生涯にわたって私たちが求め続ける続けことであり、今日明日理解できる安価な問いかけではありません。それは人生そのもの主題なのではないでしょうか。

3,崩れ落ちる都

平和を失い、平和が見えない結果は決定的に破壊の世界に至ります。43:やがて時が来て、敵が周りに防塁を築き、お前を取り巻いて、四方から攻め寄せ、44:お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の中の石を残らず、くずしてしまうだろう。」とイエス様は預言します。

 43節は新約聖書でも最も大切な個所の一つです。この預言は実際に紀元後70年のローマ軍によるエルサレム占領を預言しています。エルサレムとユダヤの過激派は戦争となり、エルサレムの城壁は破壊され、皇帝の肖像画が神殿に飾られます。エルサレムと言う名は改変されてエリア・カピトリーナとローマの名前に帰られてしまいます。この戦争では多くの人々が殺害されました。生き残ったユダヤ人はマサダという死海のほとりに立てこもります。マサダは断崖絶壁の台地上の岩山です。最後は全員が討ち死にして殺害されます。発掘されて髪の毛の出土品、岩の砲弾、サンダル、麻の衣など発見されています。最後は全くの悲劇になるのです。その激しい戦争の痕跡は今も残っています。

 日本の太平洋戦争での兵士の自決、飢餓による兵士の死、大学や学校に飾られた天皇陛下の御真影、原爆による都市と人と自然の破壊、などと同じような出来事が起こっています。日本も原爆の体験国であるにも関わらず再び軍拡に走り出しています。人間は戦争から学ぶことがないのだと思いきるべきでしょう。2024年は戦前の雰囲気に似て来たとタモリが言ったことが話題になりました。私たちキリスト者こそが、戦争、天皇制、軍拡の道、外交による平和的道について学び、平和の道を歩くように一層働いていく必要があるのです。

聖書教育が9章から急に19章に飛んでいるのは、211が建国記念の日と呼ばれる危機感があるからです。神奈川連合の諸教会は信教の自由の日として集会を持つから、この大切さを知って欲しいと考えてカリキュラムが作成されているのです。

4,時をわきまえる

 44節の最後の部分は最も大切な部分と言えます。「44:それは、神の訪れて下さる時をわきまえなかったからである」

 聖書は涙の物語であり、聖書は涙の歴が綴られている本です。イエス様は親しい友人ラザロの死骸を見て涙を流しました。死者のために、その家族のために涙を流すキリストがおられます。パウロはコリントの人々に涙ながらに手紙を書きました。Ⅱコリント1010章は「涙の書簡」と呼ばれています。またフィリピの人々はテモテにあなたの働きを忘れることができないと感謝して涙ながらに語りました。神の助けを涙を持って分かち合いました。   

へブル書はイエス様の姿を「叫び声を上げ、涙を流して神に取り成しの祈りをなさった」とイエス様の信仰を記しています。

 旧約ではヒゼキヤ王は病気なって死ぬことを覚悟し妻には遺書を書くようにと勧められます。涙ながらに「主に私を忘れないで下さいと祈ります。その時神は「私はあなたの涙を見た」と慰めて下さいます。

苦難の僕ヨブは「神を仰いで私の目は涙を流す」と告白しています。バビロン捕囚になったイスラエルの民は故郷エルサレムを思い「昼も夜もわたしの糧は涙ばかり」と賛美の為の竪琴を木にかけて歌うことが出来ないほどの故国喪失の悲しみを告白しています。伝道の書では「見よ、虐げれた人の涙を見る」と語り、泣いている人の涙に注目するように勧めています。

そしてキリストご自身が裏切られ、十字架にさらし者となり、涙を流してエルサレムへの思いを語っているのです。福音は試練と涙の中で広がっていきました。戦いと試練と涙を流す苦難は教会の中で今も続いているでしょう。

聖書は語ります。「わたしはあなたの涙をつぶさに見た。わたしはすべての顔から涙を全く拭いさる」と。天上の世界にいるキリストは黙示録の中で「彼らの目の涙をことごとく拭い、もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」と語っています。

 十字架の死を前にした涙を流す神ご自身が我々の涙を捨て去ることは無いのです。悔い改めて流す涙さえも神は冷たく見放すことはないのです。悲しみの涙はあなた自身に神が慰めて下さり、神の国の栄光を仰がせてくれる大切な宝物です。「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜びなさい」とイエス様は勧めました。キリストはご自身泣く者と共に泣き、喜ぶ者と喜ぶものとなられたからこそ、信仰は慰めなのです。