「イエス様の誕生」2022年12月25日ルカ2章1―20節

「イエス様の誕生」

20221218日ルカ2章1―20

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1 、皇帝アウグストと幼子イエス

 今日の個所は皇帝アウグストゥスの命令から始まります。この人口調査は紀元後6-7Cのものと考えられています。この皇帝と比較するようにイエス様のことが語られます。

第一に皇帝アウグストゥスは「救い主(ソーテリア)」と呼ばれました。これに対応するように「2/12 あなたがたのために救い主(ソーテリア)が生まれた」と天使は告げます。皇帝は救い主ではなく貧しく生まれたイエス様が救い主なのです。

 第二にアウグストゥスは45年にわたってローマ皇帝であり続けました。彼の時代は「パックス・ロマーナ」と呼ばれました。「ローマの平和」という意味です。アウグストゥスは平和の神と呼ばれました。しかし聖書は「2/14地には平和(パックス)あれ」と言われ、神の一人子イエス・キリスト様が平和の創造主であることを告白しています。

第三にアウグストゥスは戦争によって領土を拡大しました。「戦争の勝利の知らせ」は「大きな喜び(エバンゲリアオン:福音)」と呼ばれていました。しかし聖書は2/10イエス・キリストの誕生こそが大きな喜び(エバンゲリアオン)なのだと」天使は告げます。

 第四にアウグストゥスは「世界の主(キュウリオス)」と呼ばれました。それは国家を治める絶対的な王であり、人民を治める第一人者であることを示します。しかしルカは「2/11この方こそ主メシア:キュリオス・クリストス」と呼んでいます。イエスキリストこそがキュリオスなのです。

 世の皇帝とは違う、まったく別の王が生まれたことを証しする物語なのです。世の皇帝は救い主ではないのです。

8月を英語でオーガストと言いますが、イエス様の時代のこのアウグストゥスに由来します。アウグストゥスは暦の中に自分の名を入れました。それは歴史と時間、日にちは皇帝のものであることを意味します。日本でも明治、大正、昭和、平成、令和と天皇の名をつけます。これは時代、歴史、時間の中に天皇の名が入り込み、天皇が歴史の主、時間の主、暦の主であることを示します。キリスト者は西暦を使いますがこれはキリスト・イエスが歴史の主であることを示しています。時と歴史はイエス・キリストの内にあると告白するのがキリスト者です。

 ヒトラーのナチズムの嵐が吹き荒れる時代、1930年代に教会はナチズムに加担していきました。「ドイツ民族主義のキリスト教」が拡大し、ヒトラー政権の軍国主義の暴力におびえて、ヒトラーの政策に参加していきました。しかしこの時代に「バルメン宣言」という宣言を出して反ナチ闘争を戦ったキリスト者たちがいました。彼らは弾圧されて神学校も閉鎖され、国外へ難民になった神学者もいます。代表がボンフェッファー、バルトという人々でした。彼らは皇帝礼拝(ヒューラー)に対抗し、拒みました。それはイエス・キリストこそが救い主であるという告白の戦いでした。

2,羊飼いへの知らせ

 今日の後半は、820節は羊飼いに天使が良き知らせを告げる物語が語られます。聖書の中には羊飼いがたくさん出てきます。カイン、アベル、アブラハム、ロトも羊を飼いました。モーセも羊を飼いましたし、ダビデも羊飼いの少年でした。ヤコブの妻ラケルのお父さんラバンも羊飼いでした。羊飼いは当時のユダヤ社会の中で最も貧しい人々でした。

その生活は「2/8:野宿をする。」「夜通し羊の群れの番をする」毎日でした。夜は羊と一緒に洞窟に寝たり、ご飯を食べたり、ささやかなテントを張って寝ることもありました。牧草を求めて移動し、自然の石を積み上げた囲いに入れる。羊は病気なったり、オオカミや野良犬に襲われたりするので番をするのです。朝毎に羊の数を確認する。ひさごで水をやる。そんな生活でした。そんな貧しい羊飼いたちに天使が現れてイエス様の誕生を告げます。

その様子を読んでみましょう。天使は「12/飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」と告げるのです。「14/天使たちはいと高き所には栄光、神にあれ、地には平和人々にあれ。」神のみ使いたちは平和を願い祈るのです。さて羊飼いたちは「15/主が知らせてくださったことを見ようではないか。」と行動に移します。「16/ベツレヘムに行きます。そして飼い葉おけに寝かせてある幼子を探し当てます。」

この羊飼いの姿は信仰生活の姿を示しています。私たちも神が語り、聖霊が語り、聖書が語る平和の福音を聞きます。神様や天使や聖書は平和を祈り願い求めます。それは神様が与える喜びの約束の福音です。私たちは平和の福音を聞きます。そして羊飼いのようにイエス様を探し求めて信仰の旅に出発します。夜空の星を見つめ、時に寒い風を受け、暗闇の中を、荒れ野や谷を越え、時には苦しみの川を渡り、イエス様を求めて旅をするのです。なかなか見つからず不安な時も過ごすでしょう。そして遂にイエス様に出会うのです。

イエス様に出会った羊飼いとはどんな思いだったかが記されています。20/羊飼いたちは見聞きしたことがすべて天使が話したとおりであったので、神をあがめ賛美しながら帰って行った。」と記されています。

 神様が語る福音、イエス様、それは豊かな喜びの福音です。常にその約束には感謝と喜びが伴います。神様は常に肯定的で喜びに満ちた愛で私たちを導いているのではないでしょうか。

先々週は大変悲しいニュースを受け取りました。それは関田寛雄先生が亡くなったという知らせでした。先生は日本基督教団の牧師でした。また東京神学大学で説教学を教えて下さいました。連合の牧師会でも説教学演習の研修を連合の牧師会で行いました。また東京バプテスト神学校や全国教会学校研修会でも公演して下さり、個人的にも説教の演習を受けました。関田先生は多摩川沿いの小さな河川敷にある教会で、韓国の差別された方々の教会の牧師をなさっておられました。アカデミックな神学的本も多く書かれました。しかしその生活は質素で本当に優しい先生でした。先生が亡くなったと聞いて第一の感想は「本当にかわそうだなあ」と思いました。その細やかさが感動的でしたからね。私には到底及ばない謙虚さがありました。先生にとって戸出教会と先生の生活は「まぐさ桶の中に輝くキリストを見る思いがしました。

 17/羊飼いたちはこの幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」とあります。

羊飼いたちはこの体験を語りました。

 クリスマスの出来事は「15/主が知らせてくださったそのできごと」「17/天使が話してくれたこと」でした。それは不思議な出来事であり、喜びの福音であり、神を賛美する知らせでした。19/マリアはこれらの出来事をすべて心に納め、思い巡らしていた」とあります。マリアはよく考える慎重なタイプのように見えます。「天使がおめでとう恵まれた方。主が共におられます。と告げられた時に「1/28-29;マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこのことは何のことだろうと考え込んだ。」とあります。マリアには神様の言葉を反芻する能力、慎重に吟味する知恵、即答はしないが沈思黙考する慎重な姿があります。結果を素早い結果を求めて、自分で焦って、すぐあきらめることはないのです。神様の言葉はよくわからないことが多いと思います。その時に良く反芻して思い返し、慎重に口を開かないことは大切なことです。中世の修道院での生活はみ言葉を反芻することを勧めました。クリスマスの物語は生涯考え続け、その意味を探り続け、イエス様の誕生の意味を考え続ける不思議な出来事なのではないかと思います。今年は少しわかり、来年はまた少し深く身近になり、永遠に命の源であることがわかってくる不思議な神秘に満ちた物語なのです。

私の大好きな言葉があります。口語訳で覚えているのですが、「雅歌5:3/エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。」

神様からの愛も、人への愛も、自然に湧きあがってくるものです。その愛を無理に目覚めさせて無理して愛を引き起こすことはないのです。ことさらに呼び起したり、またあきらめて、投げやりになったりしないようにしましょう。神様の愛はゆっくり湧きあがってくるもので、焦ることはないのです。神様の愛が自然に湧きあがってくるまで期待して待つのです。本当の愛は自然に現れてくるものです。マリアはそのようなことさらに呼び覚ますような力みのない心を持っていたと思います。

 

 不完全なままでもイエス様の誕生を感謝することを忘れないクリスマスでありたいと思います。