【嘆くな泣くな】~喜ぶことこそ力~2022年11月13日ネヘミヤ記7章72~8章12節

【嘆くな泣くな】~喜ぶことこそ力~20221113日ネヘミヤ記7章72812

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1,完成の喜びを分かち合う

礼拝に集まった何人くらい、いたのでしょうか。「7:6667:会衆の総数は42360人であった。男女の使用人7337名、詠唱者が245名、らくだ435頭、ろば6720頭であった」と記されています。

また捧げられた金額も記されています。「7;6971/金一千ドラクメ(4.3Kg3741万円)、金二万ドラクメ(8.66.9億円)、銀二百マネ(20㎏、952万円)金二万ドラクメ(8.6t、6.9億)、銀二千マネ(200㎏、9520万円)」とあります。合計83213万円です。また供え物用の器、祭司の衣服合計569着なども捧げられています。

これを見ますとユダの民は組織だった働きと、各自の熱意があって工事は完成したと推測できるのではないでしょうか。総督ネヘミヤやエズラの働きは大変な重責であったと思わされます。私には、これらもそれほど簡単に集まったとは言えないように思えました。混乱や行き違いや反発や反対もあったのだと思います。もめごとは多かったと思います。でも彼らはこの城壁再建の仕事を成し遂げたのです。心を一つにしたのです。

 全国には古くなった教会がたくさんあります。台風で屋根の修理ができない教会、庭の手入れや庭の木を切る財政力のない教会、雨漏りする天井を修理できない教会、教会裏の崖を修理できない教会、古くなった教会は壊せたが会堂を建築できずに8畳のプレハブで礼拝している教会、会堂の新築を願っているが教会の土地を売ることができない教会など多くの教会が苦労しています。私たちの教会は本当にいい方だと思います。私たちは今後この会堂を用いてさらに宣教の働きを続ける可能性が充分にあるのです。私は思います。弱っている教会を助けること、苦難の中にある教会を助けることで私たちは成長することができるのです。自分のためでありません。他者の為に成長するのです。「助ける教会」は祈る教会、関わっていく教会は、人も増えていくのではいでしょうか。

2,感謝の礼拝を捧げる

 イスラエルの民は城壁の完成を喜び礼拝を捧げます。どのような礼拝をしたのでしょうか。

 「8:2/祭司エズラは律法の書を全会衆の前に持って来た。男も女も理解できる年齢に達した者は皆いた。・・・3/

夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆律法の書に耳を傾けた。6/エズラが大いなる神、主を讃えると民は皆、両手を上げて「アーメン、アーメンと唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて礼拝した。」とあります。

 律法の書とは「創、出、レビ、民、申命記」です。モーセ五書と呼ばれています。イスラエルの歴史、十戒、律法規定、礼拝の方法、礼拝者の生活の仕方など細かく書かれた書です。

 これらによってヤーウェにヘセド(愛)や助けや慰めを知ることができるのです。彼らは聖書という原点に帰ります。聖書を聞き、み言葉に服従することから出発したのです。

連盟には5本指の約束があります。私も青年時代暗記させられました。「聖書を読む、礼拝に出席する、お祈りをする、友だちを誘う、献金をする」の5つの約束です。その第一は聖書を読むです。「聖書は私たちを義に導くのに有益である」。パウロは「聖書から忍耐と慰めを学ぶことができる」と言っています。使徒言行録では「弟子たちは毎日、聖書を調べて学んでいた」と記されています。

 信仰生活は聖書を学ぶことから始まります。温泉には色々な効能があります。肌がすべすべになる、筋肉の痛みが無くなる、あせもに効くとか・・・聖書にも色々な効能があります。聖書を読む第一の理由は「虚しさが無くなる」ことです。希望が湧いてきます。人生はむなしさとの戦いです。聖書の第二の理由は「人の意見や考えを上手くうけいれることができるようになる」ことです。イラつかせるような意見や態度も楽しく受け入れることができるようになります。

第三に自分の心の思いを点検できる。怒りや不安は自分で一杯の時、傲慢になっている時、人生が分らない時に聖書を読むと自分の心の点検が出来ます。人に認められなくてイライラする時でも、静かな霊的満足を得ることができます。第四にまた他人の発言も聖書に照らすと「本当か嘘か」判断できるようになります。聖書は「真理とは何か」を教えてくれるものです。人に対しても柔軟に、賢く、楽しく対応できるものです。エズラ・ネヘミヤ・イスラエルの人々は聖書から神様の慰めを得たのです。

3,勇気を出しなさい。

 最後のネヘミヤとエズラはモーセ五書を読んだあとで、イスラエルの民を励まします。「8:9/今日はあなたたちの神、主に捧げられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」「8:10

/今日はわれらの主に捧げられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源なのだ。」「8:11/今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」「8:12/大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。」

 今ミャンマーの為の祈り会に出ています。国籍もなく、住む場所、医療保険、仕事、子どもの教育、故郷に家族への不安、お金や食料、学校にも行けない、たくさんの問題があります。

イスラエルの人々の外国での生活は大変なものでした。長い間の戦いはここで報われたのです。帰還した人々は心から喜び、主に感謝したのです。捕囚というつらい体験から彼らは再び礼拝する場所を得たのです。神様は異国に奴隷とされた人々を忘れることはない、優しい方だと思います。

 主は必ず助け導き救い出す方です。

神の救いは誤りがありません。私たちの人生も苦難と悲しみと失敗と後悔に満ちた人生のように思えることがあります。しかし「悲しんではなりません。泣いてはなりません。勇気を出して主に従い続けなさい。」エズラ・ネヘミヤの声を理解する者は失望に覆われることは無いのです。

 

 神は今日も私たちに呼びかけています。「勇気を出しなさい。泣いたり、嘆いたりしてはならない。」神は必ず助ける神なのですから。