『火はその体を損なわず』 2022年9月4日ダニエル書3章13~30節

火はその体を損なわず

20228月28日ダニエル書3章1330

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1,偶像礼拝の拒否

 王は脅迫します。「15:わたしの建てた金の像を拝むつもりならそれで良い。もしも拝まないなら直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」

 3名の主に従う者は告白します。「17:わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救って下さいます。・・18:神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも致しません。」

 強制の拒否、国家や王への拒否があります。3:1-7節を見ると国家権力がどんなに大きなものであったかわかります。幅4m高さは27mの金色の像です。「総督、執政官、地方長官、参議官、司法官、諸州の高官、財務官、保安官、壮大な音楽多隊、諸国、諸民族、諸言語の人々が集まった王の威信をかけた壮大な除幕式が行われました。それは王と国家の力を示す壮大な除幕式でした。3人はこの像を拝むことをしませんでした。

 国家は威信をかけて大きな式典を持ちます。天皇の就任式、天皇の葬儀、安倍首相に葬儀、国葬、オリンピックの式典、戦中に行われた「皇紀2600年奉祝式典」等です。会社でも記念式典や全員出席の記念行事など、反対できないほどの強制力を持つ式典があります。3人の若者はそのような状況の中で

自分たちは王の神には服従しないことを告白します。主告白に献身しているのです。王の神にひれ伏さず、王の神を神としない信仰を貫いているのです。

2,王は懲罰を行う

 このような態度に対して王は激怒します。「19:血相を変えて、怒り、炉を七倍熱くし、203人を炉の中に投げ込むのです。」2章においても夢を解けない賢者たちに王は「12:王は激しく怒り、憤慨し、バビロンの知者たちを皆殺しにするように命令した。・・知者を処刑する定めが出された。」とあります。不服従の者には懲罰と恐怖を与えます。そして反対者は殺害するのです。

 このようなことは現代でも起こります。ミャンマーの軍政に不服従の者は殺害されます。ミャンマーの教会は焼き打ちされます。民主主義を求める者は殺害されます。現在までこの一年で約3000名が殺害されています。しかも

最下層の人々は洞穴で眠り、家を焼かれ、子どもたちは学ぶ機会を奪われ、7歳で人身売買され、強制的に小学生が結婚させられて、売られていきます。

定住して農作物や家畜を買うことも赦されません。ウクライナでは70万人が国外に脱出しています。悲惨な現状はこの瞬間にも続いています。

3,燃え尽きな4

 しかしこの炉の中にあっても「3人は燃え尽きることはありません。「22:わたしには4人の者が自由に歩いているのが見える。27:三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火の臭いもしなかった。」とあります。

 王は燃え盛る炉の中に4人を見ます。「一人は28:この僕たちを、神はみ使いを送って救われた。」とあります。燃え盛る炉の中に「神のみ使いがいた、ともにいた」のです。ダニエル書では「神のみ使い」がたびたび登場します。10:21ではミカエル、9:21ではガブリエルです。ヘブル語でマルアークと呼ばれる神の使いです。ヤーウェは神の使いを送るのです。「助ける者」を派遣します。イエス・キリストは神からの最大のみ使い(ハルアーク)と言っても良いでしょう。新約に至ってヤーウェは救い主を送るのです。

この神のみ使いと共にいると、火は私たちに燃えついて焼くことはありません。「27:火はその体を損なわず、神の毛も焦げてはおらず、上着ももとのままで、火の臭いすらなかった。」とあります。

 この奇跡を信じることが信仰です。皆さんはこの燃え盛る炉の中の奇跡を信じますか?この奇跡に共に「そうです。アーメン!」と言いましょう。

私たちはどんな試練があっても打ち負かされ、燃え尽きることは無く、永遠の命を獲得していくのだと、信じましょう。あなたは信じますか?私は奇跡を信じます。

 私はこの物語を読んでパウロを思い越しました。「Ⅰコリ3:15/その人は火の中をくぐり抜けて来た者のように救われます。」この火は「終末の火」です。炎に燃えることなく、救われるのです。火の中をくぐって来た人のように救われるのです。この約束に生きましょう。

4,神賛美生きる

 このように燃える炉の中でも燃える尽きることのなかった3人を見て王は次のように語ります。「シャドラク、メシャク、アベドネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神により頼み、自分の神以外には、いかなる神にも仕えず、拝もうとしなかったので、この僕たちを救われた。」と語っています。

王自身に感動を与え、王自身が深い感銘を受けたのです。王自身がヤーウェの体験者、目撃者となりました。3人は、王をも、火をも、神々をも、多くの人々の意識や目をも恐れることはありませんでした。宗教上は少数者でした。しかし彼らは恐れることなく信仰を貫き通したのです。

 今日ここに4人目の救い主としてイエス・キリストが臨在なさいます。今日も変わらずキリストは共におられるのです。キリストは天使のような使者として私たちとインマヌエルなのです。

 今日は主の晩餐式を行います。十字架の死に至るまで「神に」忠実であられました。キリストは死なれましたが、その体は腐ることなく、燃え尽きることなく、復活して、死はキリストを支配しませんでした。そして今も生きて働き永遠の命を獲得されました。

 今日私どもはその「腐敗することなく永遠の命」を得られたキリストの体を受け取ります。私たちの体の中にキリストは入って下さり、あなたと共に生きるのです。キリストの体はあなたの体に入り、インマヌエルの現実があなたの体の中で成就します。この感謝の時こそが教会の本質なのです。

【祈り】

 主よあなたが共に居る時、私たちの体は決して消失ることはありません。私どもあなたと共にあり、試練の火、終末の激しい火、苦しみの火は私どもに及ぶことはありません。主よ、あなたのその力、あなたのその守りの中にいることを喜びます。今朝のあなたの燃え尽きない体がこの私ども中に成就したことを感謝して、不滅の主キリストの御名で祈ります。アーメン。