神様の計らい 2022年8月21日ダニエル書1章

神様の計らい

20228月21日ダニエル書1

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1,破壊された信仰

20代の時にベトナム戦争でした。米軍がベトコンを掴まえ、後手に縛り、ボロ服を着た兵士を、銃で頭を撃ち抜くシーンがテレビで流されました。ミャンマーでも目隠しされて並ばされた貧しい民兵を森の小さな広場に座らせ、銃で乱射して殺害する写真を見ました。最前線の兵士は頭や足が吹き飛んで呻く姿を実際に体験するのです。バビロン軍に捉えられ多くの人々が殺害されたのです。

旧約聖書のユダヤ民族は、4000の歴史の中で、幾度も民族の危機を経験してきた民族です。エジプト帝国、バビロン帝国、アッシリア帝国、ペルシャ帝国、ローマ帝国、オスマン・トルコ帝国、十字軍による支配、アラブ帝国、ビザンチン帝国、イギリス帝国、国連の統治下に置かれる。その中で民族としては、離散したユダヤ人(ディアスポラユダヤ人)として世界中に散っていきました。

 今日のダニエル書は6世紀の話で、バビロン帝国に支配された時代の物語です。例えれば、米軍によって天皇が住む皇居が破壊され、星条旗が立ち、東京は原爆で破壊されつくすような状況に似ています。神殿は壊され、ユダ人たちはバビロンの地へ捉えられていきました。彼らはバビロン帝国の中で少数者として生き抜かねばなりませんでした。

  バビロン帝国の中でどんなことが起こったのかを見ることが出来ます。

第一に名前を強制的に変えられます。6節です。「ダニエルをペルテシャツァル。ハナンヤをシャドラク。ミシャエルをメシャク。アザルヤをアベド・ネゴ」と呼んだとあります。バビロニアで生き残るためです。

名前を変えて生きることは大変な問題です。日本軍も韓国の人々に強制的に名前を変えさせ、人権を奪いました。和田アキ子さんはお母さんが朝鮮半島の方でした。在日韓国人2世です。韓国名はキム・ボクジャと言います。名前を変えて和田アキ子として歌手として活動しました。その後日本に帰化しました。本人が韓国人であることを知ったのは中学生の時であったと言います。差別と偏見の目で見られ、侮蔑の対象にされる恐怖心の中で育ちました。わたしたちはそのような人々に偏見なく接しているでしょうか。その苦しみを知っているでしょうか。民族的マイノリティーの人々の苦しみを分かち合う必要があります。

 次に6~16節の食事の問題です。豊かな帝国バビロンの5節:王は宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成しようとして自分たちに仕えさせることにした。」さらに「8節:酒、肉、豪華な食事」を王から勧められます。しかし彼らは「1216節:野菜と水のみを10日間続けます。」と言います。

これは彼らが菜食主義者であって、健康に気を付けていたということ以上のことです。4人は「ハシディーム派」と呼ばれるユダヤ教敬虔主義、禁欲主義者の伝統立つ人々であったことを示します。断食や菜食主義は神の御心を求める誠実は信仰の行為でした。それはバビロンと言う異教の帝国の中にあって、マイノリティーでしたが、彼らはヤーウェ信仰、ヤーウェへの律法に従う忠実さを貫きました。彼らは主を信じる信仰を貫徹したのです。そんなもん変えればいいのに、妥協しても良いのにと思う方もいるでしょう。しかし神は少数者(マイノリティー)の立場を明確にしています。

マイノリティーの信仰、少数者の意見を守ることは大切なことです。聖書は皆がそうだからお前たちも服従しろと言う、全体主義の立場を否定します。イスラムの人々は豚肉を食べません。日本人はイスラム教徒を非寛容だと迫害します。しかし少数者の立場は守るべきなのです。

最大多数の最大幸福に服従することを当然としているのが、わたしたちです。そこではマイノリティーは恥に置かれて見えなくされてしまいます。余白に取り残されるのです。聖書はマイノリティにも目を閉ざすことはありません。

 次に彼らの告白の中に「神の恵み」が示されていることです。3つのことが言われています。

第一は才能や容姿は神の恵みであるということです。

4節:体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み」とあります。ここを世間は優秀な人材が欲しいのだ、世間は容姿端麗な人間をちやほやするのだ、出世するのは良い人が選ばれるのだと読んでは、聖書を読み間違えます。「17節:この四人の少年は、知恵と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていた」と言われます。

 聖書は才能や知恵や理解力は神から与えられるものだと言っているのです。それは人が天狗になるのを防いでくれます。神は人知を超えてわたしたちに豊かな知恵を与えるのです。才能は神の賜物。知恵は神の恵みです。深い知恵は祈りによって神の霊によって与えられるものです。また人の才能を喜ぶことは難しいことです。妬みの思いが起こり、競争心が湧きあがり、嫉妬心が燃えるからです。このような感情は家庭、会社、教会の人間関係でも起こります。神の恵みであることを喜ぶことは妬みを打ち消してくれます。

第二にバビロンと言う異郷の地にあっても神の手は動いていたことをダニエル書は示しています。それは読み過ごしてしまいそうな短い言葉です。2節:主はユダの王ヨヤキムとエルサレム神殿の祭具の一部を彼(バビロン王ネブカドネザル王)の手に落とされた。」バビロン捕囚を起こしたのは神ご自身です。神は試練を与え、裁きともいえるバビロン捕囚の事件を引き起こすのです。神は一切の出来事の支配者です。9節:神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。」とあります。

マイノリティーになったユダヤの民を神は忘れることはない。選民ユダヤ人以外を用いるのです。神はユダヤ人のみを用いるわけでありません。

バビロン捕囚から解放したのはユダヤ人ではなく、異邦人の王ペルシャのキュロス王です。キュロス王を「メシア:油注がれた者:ギリシャ語でキリスト」と呼んでいます。シオン人形劇団で橋本さんや高砂淳一さんが働いて下さいました。それは神の御計らいの中にあります。市民クリスマスで幼稚園で公演しました。それもまた主の御計らいの中にあります。自分がやったのではなく、神の御計らいの中にあるのです。

 

バビロン捕囚の中で、イスラエル人はマイノリティーでしたが、「神の御計らい」を示してくださいます。小さな民、余白に置かれたイスラエルの対を忘れることはないのです。