祈りの輪の中で 2022年6月26日コロサイ4:2-6

祈りの輪の中で

2022年6月26日コロサイ4:2-6

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1、祈りましょう

パウロは信仰の友人がたくさんいる人でした。コロサイ書でも「ティキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユスト、エパフラス、ラオディキアの人々、ヒエラポリスの人々、ルカ、デマス、ラオディキアの友人たち、ニンファ、アルキポ」など多くの友人がいます。祈り祈られる人々がいることは本当に信仰生活を続けていくうえで大事です。私自身も多くのキリスト者の友人に支えられて大変幸せだと思います。パウロはこの友人たちに祈って下さい、祈りましょうと声をかけているのです。

4:2目を覚まして感謝を込めて、ひたすら祈りなさい。同時にわたしたちのためにも祈ってください。」

目を覚まして:グレーゴ・レオー:油断しないで」の意味。長く教会に通っているからと言って油断しない。人は欲や誘惑にひかれて油断をする。怒りに燃えて油断する。嫉妬心に燃えて自分が見えなくなって油断します。気をつけましょう。

 「ひたすら:プロス・カル・テレオー:揺るがないで忍耐強く継続する、専心する、ねんごろに」の意味。すぐに諦めない。ぐらつかない。すぐ思い通りにならなくても静かに祈る。心を注ぎ続けて祈りましょう。

「感謝して:ユーカリスティア:喜びと感謝をもって、感謝の思いに満ち溢れて」の意味。常に神の助けと導きを信頼する。神が良きことをなさってくださることを忍耐深く待ち望んで祈る。感謝する。

 祈ることで私たちは神と霊的な出会いをします。祈りの中で神様を体験します。聖書を読み、霊操して、黙想する時神を実感するのです。祈りの時間をしっかりとることが神体験につながるのです。皆さんは祈りの時間を取っておられるでしょうか。

2,神は門を開く

 パウロは次に何を祈って欲しいのかを伝えています。

4:3:神がみ言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。4:4:わたしがしかるべく語ってこの計画を明らかにできるように。」祈って欲しいと願っています。

 第一に「神がみ言葉のために門を開いてくださるように祈って欲しい」とあります。

原文では「神が私たちに言葉の門を開く」です。神が門を開いて、そこから神の言葉が出てくる。神が門を開いて神の言葉を啓示するのです。神の側から開けて、み言葉を示す。人が開くのでありません。神が開きます。神の働きが先です。み言葉を人に与えるのです。

あなたの人柄が伝道するわけでありません。神が言葉を語るために、神が言葉を開いてくださる、そのように祈って欲しいと願っているのです。

「キリストの秘められた計画」「この計画」は2章にも出てきました。一語で「ミステリー」という言葉です。「キリストの神秘、キリストの不思議、キリストの秘密」を神が啓示する。その言葉を「語ることが出来るように祈って欲しいと願っているのです。

3、外の人にふるまうには

  次に聖書はどんな点に気を付けて生きるべきかを語ります。

4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢く振る舞いなさい。いつも塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば人一人にどう答えるべきかが分るでしょう。」と語ります。

第一に「時をよく用いなさい:時(カイロス:瞬間・一瞬)をよく用いなさい。」タイミング、語るべきまさにその時を求める。一瞬を願い求める。聞きたいときに聞きたいことを的確に語る。教える時には教えるタイミングがある。下手な鉄砲も数うちゃ当たるとは逆です。

ボクシングの井上尚弥選手はグローブとグローブの「狭い狭いガードしている隙間」を通して、強烈な一打を打ち込みます。人は必ず心を防御します。しかしその隙間に打ちこむタイミングあります。当たる時にはビシッと「当て感」が良いのです

そのためには「賢く(ソフィア:知性)を用いて、ふるまう」ようにと諭します。相手をよく観察する、相手の癖を見抜く、相手の攻撃パターンを研究する、攻撃の時にどこが「隙ができるか」観察する、相手の「攻撃を防御する術、スウェイして逃げる術を身に着ける」のです。

第二に「4;5外部の人に賢く振る舞いなさい。」「外部の人」とは「エコー」という語です。ここでは実際の「ユダヤ教徒の人々」「異邦人の人々」という意味です。家族、同僚、友人たくさん考えることができます。その人たちに「賢く振る舞う」ようにと勧めます。賢くは「ソフィア」です。叡智、賢さ、知恵です。「ふるまう(ペリ・パウトー)」は本来の意味は「歩き回る」です。そこから生活する、日々を過ごす、ふるまうと使われるようになりました。聖書の中でここに一度だけにしか出てこない言葉です。意地悪な質問、異端に対して「弁明する」という特殊用語です。

第三に「4:6いつも塩出味付けられた快い言葉:心よい言葉を語りなさい。」と語ります。

塩は腐敗防止、殺菌作用などがあります。人の心を腐らせない言葉、心を殺菌するような言葉を使うのです。また塩をうまく使えば甘みやうま味も引き出すでしょう。人の心の良さを引き出せることばを使うようにと勧めています。イエス様は語れました。「マルコ9:50;塩は良いものである。だが塩に塩気が無くなれば、あなたがたは何によって塩に味付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。」(マタイ5:13参照)

また「快い言葉を使いなさい:と勧めています。「おべんちゃらを使え」とか「おだててほめておけばよい」とかいういい加減なことを言っているのではありません。「快い」とは「原典では「カリス」です。「恵み深い神の恵み」という意味です。

罪の赦し、十字架の死で豊かに生かされた命の言葉という意味が含まれています。自分がどんない深く赦されているか、その感謝が快い言葉を発するのです。十字架の愛がどんなに深いかを体験していることが第一です。

4:6:そうすればどう答えるべきか分るでしょう」とあります。「わかるでしょう」は、「アポカリメッサイで、啓示され、黙示されるでしょう。」という意味です。神様が働いて、答えを啓示する。神の十字架の恵みが啓示されて、それが答えになる。神の十字架の愛が最も快い(カリス:めぐみのことば)なのです。それに触れて、理解して答えることができるのです。

 

祈り:

互いに祈りあう群れとなりますように。キリストのみ言葉が豊かにされる世界となりますように。今週一週間日々み言葉に生きる積み重ねでありますよう。大牧者、私たちの取り成し手主イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン。