共に元気に 2022年5月22日使徒言行録27;13-38節

共に元気に

2022年5月22日使徒言行録27;13-38

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1,嵐の中で

 知床沖で観光船が沈み多くの方が亡くりました。今日は嵐の船の中の物語です。パウロはローマへ護送されることになりました。36:この船には267名が乗っていたのです。色々な人が乗っていたでしょう。パウロのような囚人、鎖につながれ犯罪者、船員、船長など船を動かす人々、また百人隊長・兵士なども乗っていました。船を漕ぐ奴隷も乗っていました。

クレタ島からの出発でした。1320節の部分、27~32節で嵐の状況が記されています。季節風「エウラクロン」に会い、船は激しい嵐に会い、進むことも出来ず、激しく揺れ、浅瀬に乗り上げ、積み荷を海に投げ捨て、錨も投げ捨て、太陽も星も見えず暴風雨が激しく吹きすさんでいる中を進まねばなりませんでした。「20節:助かる望みはない。」と思えるほどでした。

こんな時、混乱が想像されます。自分だけは助かりたいと思う人、引き返したいと思う人、行くのを止めようという人、あいつが悪いという人、おろおろする人、死ぬんじゃないかと心配する人、エゴイズムがむき出しになるでしょう。

私たちの家族も、教会も、会社も、嵐が吹くと不安になって、人を責めたり、逃げ出したり、犯人探しになったり、混乱し始めます。信仰など吹き飛んでしまいます。

マタイ8章にガリラヤ湖で嵐にあった弟子たちの話があります。「湖に激しい風が起こり、舟は波にのまれそうになった。主よ、助けて下さい。溺れそうです。」と不安になって立ち騒ぎました。弟子たちは眠っているイエス様を責めもします。会社、教会、家庭の中で嵐は吹き荒れ、わたしたちは叫んでいるのではないでしょうか。

2,元気を出しなさい。

 パウロはこの様な嵐の中でどんなことを語っているのでしょうか。第一に言葉をかけました。22:今あなた方に勧めます。元気を出しなさい。船は失うが皆さんの誰一人として命を失う者ないのです。」

不安に思うことはありません。命までも失うことはありませんと語ります。25節:ですから皆さん元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたことはその通りになります。」心配してしょげたり、憤ったり、怒ったりすることはありません。と言っているのです。元気を出すは「ユースメノー」で、36:一同は元気づいて食事をした。」と使われる。ヤコブ書では「喜んでいる人」とも訳される。

 何故そう言えるのか。「23節:私が仕え、私が礼拝している神(素晴らしい!!)からの天使が私のそばに立って・・こう言われました。パウロ、恐れるな。・・」と神ご自身が声をかけたからです。神の語り掛けを受けたのです。

 天使はザカリアに語ります。「恐れるな、ザカリアよ。」マリアに語りました。「恐れるな、マリアよ。あなたは神から恵みを頂いた。」ペテロに語りました。「恐れることはない。あなたは人間を取る漁師になるのだ。」イエス様は弟子たちに言いました。「恐れるな。小さな群れよ。御国を下さることは神のみ心なのである。」と。 

今日天使は私たちに語ります。「恐れるな、あなたよ。恐れるな、教会よ。」信仰をもって応答しましょう。そうです、主よ!私たちは恐れません。と告白しましょう。

3,留まっていなさい。

 第二番目に、27節以降を読んでみましょう。船は14日間の漂流を続けました。陸地も近くなり、浅瀬になりました。30節「船員たち(水夫)は船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをした。」とあります。

船員たちは自分だけは早く助かりたい、巻き添えを食うのはいやだ!お前たちだけ、自分の命は助かりたいと思ったのでしょう。巻き添えはご免こうむる、自分だけは助かりたいという人間のエゴが出ています。

 パウロは百人隊長や兵士たちに「31:あの人たち(船員)が船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない。」と言います。

もちろん船員たちが持っている技術が無くなると助かる見込みも無くなります。また「自分だけ助かりたいと思って、抜け駆けする者が出ると、混乱が起こり、争いが起こり、けんかも起こるでしょう。しかし「沈む泥沼船からは速く逃げる。」これは人生訓です。私どもはこれをよく心得ております。混乱に陥ったら早く逃げる、関わらない。パウロはその混乱を避けようとします。ですから「あの人たち(船員たち)が留まっていなければ助からない。」とアドバイスしたのです。船は沈むことはないのです。それは神の約束です。あなたは信じますか?

ガリラヤ湖の嵐の中でイエス様は言われました。「8:35なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。そして起き上がらり、風と湖をお叱りなると、すっかり凪になった。わたしは奇跡を信じます。あなたはどうでしょうか。

4,食べて下さい。

 第三に、さらにパウロは次のように言います。33節:今日で14日もの間、皆さんは不安の内に全く何も食べずに、過ごしてきました。どうぞ何か食べて下さい。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本も無くなることはありません。」

 パウロは「35節パンを取って神に感謝の祈りを捧げて、裂いてそれを食べ始めます。」「パンを取る(ラボーン・アルトス)」「感謝の祈りを捧げて(ユーカリステーセン・セウー)」「それらを割いて(エノーピオン・パントーン)」は、全部イエス様の最期の晩餐のギリシャ語と一致します。

  最後の晩餐の時にイエス様は弟子たちと一緒に食事をしました。ペテロもユダもやがてイエス様を裏切る弟子たちにイエス様の血と肉を象徴するパンと葡萄酒を与えられました。イエス様の命の代価が払われることを象徴していました。

 使徒言行録の著者は食事をして元気を取り戻すことと同時に、イエス様の十字架の出来事を思い起こしながら食事のことを書いているのです。

 嵐の中でも主の贖いを決して忘れることがないようにと著者は暗示しています。嵐という人間のエゴがむき出しなる旅の中でパウロはキリストの使命を果たす役割を果たしていきました。

私たちの家庭という嵐の船旅も続きます。私たちの職場という嵐の船旅は続きます。わたしたちの教会という嵐の船旅は続きます。

23節をもう一度読みます。「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が、昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。』」主は「平安の港に導いて来ださる」のです、そう確信し、信頼しましょう。恐れることはありません。