恐れるな語り続けよ 2022年5月1日使徒18章1-11節

恐れるな語り続けよ

2022年5月1日使徒181-11

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1、パウロと友人たち

  パウロはアテネからコリントに来ました。その時の体調をコリ2:9;そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安であった」と語っています。「恐れに取りつかれていた」のですから、語る言葉や人々の反応に不安があったのかも知れません。自信満々ではなかったのです。またパウロはひどい持病がありました。その病気から来る欝状態だったかも知れません。また「コリ10:12;手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない。」と言われています。パウロは精神的にも肉体的にも屈強な人でありません。アテネでプリスキラとアキラの家にお世話になりますが、親しい友人であったこの夫婦の世話になり、パウロは少し安心感を持ったかも知れません。またテント張りの仕事は差別された職業、さげすまされた職業でした。パウロは最も卑しい職業の人々の所に泊めてもらったのです。夫婦はロマ書15章、コリ16章にも出てきます。とても親しい関係です。

2,パウロの伝道

 さてパウロはどのように伝道したのでしょか。5つの言葉があります。「4節:会堂で論じた。説得に努めた」「5節:み言葉を語ることに専心した。(聖霊に迫られ掴まえられた)」「5節:メシアであると力強く証しした。(ディアマルチュリア)神の言葉の中に入って)」「11節:神の言葉を教えた。」「28節:彼(アポロ)はメシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せた。」とあります。パウロは不安の中にありながらも熱意をもって伝道しています。

2,霊と力の証明によった

 それではパウロの宣教の力強さはどこから来るのでしょうか。コリント24;わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした。それはなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」と言っています。彼は人間の巧みな言葉で愛想よく伝道しません。機転が効いたり、魅力的に言葉巧みな言い方で伝道しません。「神の霊と力」で伝道しました。使徒言行録は「聖霊行伝」と言われるように、聖霊の働きが第一の書です。人間ではなく、神の霊が伝道したのです。伝道は人間ではなく、神の霊の働きです。人ではなく聖霊が説教し、聖霊が回心を引き起こしていくのです。

1734節:アテネで信仰に入った人々がいたのもパウロの実力ではありません。188節「会堂司クリスポの家族が救われ、コリントの人々が聞いて信じて洗礼を受けた」のもパウロの力量でもありません。「聖霊の力によった」からです。

3、多くの拒みを経験しながら

さてパウロの働きは多くの「拒み」との戦いでした。6節:しかし彼らが反抗し、口汚くののしったので・・・」とあります。先週もアテネでも、「17:32;死者の復活ということを聞くと、あるものはあざ笑い、あるものはそれについてはまたいずれ聞かせてもらうことにしよう」と丁寧に断ります。

人々は神の語り掛けに耳を傾けてくれませんでした。宣教者は人々からの批判、無理解に耐える忍耐力、逃避しない謙虚さ、批判と距離を置く知恵が求められます。批判に立ち向かうのでもなく、迫害に沈黙するのでもなく、無視するのでもなく、聖霊の働きにただ頼り、喜びをもって献身し、説得力のある冷静さが必要です。聖霊はそのような「力」を与えます。

4,「恐れるな。語り続けよ。」

キリストは幻の中でパウロに語ります。9節:恐れるな、語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」と言うのです。主ご自身が語るのだから、恐れてはなりません。「恐れるな」は神ご自身の本質を示します。「イザヤ41:1043:544:2」「申命記20:131:6,8」「ヨシュア1:9、」「エレミヤ1:8」「41:10恐れることはない。わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。」

神はご自身が語り、その宣教の言葉を託されて人は語るのです。源は神ご自身です。神は語り続けます。だから恐れてはならないのです。

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祈り:サムエルは「主よ、お語り下さい。僕は聞きます。」と申しました。まず主ご自身がお語り下さい。私たちはそれを聞きます。聞いた言葉を託されて僕としての任を果たします。どんな時でも神の言葉を語らせて下さい。自分の好き嫌いを捨てます。できる出来ないを捨てます。不安も恐れも捨てます。才能のあるなしの苦しみを捨てます。自分の自信も捨てます。あなた僕として生きます。あなたの良き器となしたまえ。主の僕キリストの名で祈ります。