生きている者の神
2022年3月6日 マルコ12章18-27節
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18~23節。サドカイ派の人々が問うたのは7人の兄弟と結婚して後継ぎも残さず死んでしまった女は誰の妻になるのかという問いでした。この様な結婚はリビラート婚と言われていました。申命記25章に記された結婚の形態です。それは家名を絶やさない、御家繁栄のためでした。子孫繁栄が神の恵みと考えられていたからです。子孫が増えないこと、家が繁栄しないことは神の恵みがない印でした。7人の兄弟が死んだことはお家断絶、神の見捨て、家の衰退、不信仰な家を意味しました。当時女性は子孫繁栄、御家隆盛の道具でした。家を没落させ、子孫繁栄の神の恵みを果たせない一族、そんな家族や女は役立たず、証にならないということです。繫栄しないことは証しになりません。女と兄弟7人を、神の恵みを著せない能力無き人間とみていたのです。誰の妻になるかという質問をしつつ、神の祝福をないがしろにする「できない妻や家族」は芳しくないのです。
1、めとることも嫁ぐこともない
しかしイエス様は「24節:思い違いをしている。聖書も神の力も知らない。」と直截に語ります。
その復活とは何かについて、イエス様は語っています。まず第一に25節に「死者の中から復活する時には、めとることも嫁ぐこともない。」と言っています。
神に復活させられたらこの世の制度とは違った新しい関係に入ります。それは神との一層深い関係に入ることを示します。復活は永遠の命を得ることです。
この深い神との結びつきは、婚姻に例えられます。黙示録19章では「小羊の婚宴に招かれる」ことが記されています。人は花嫁として美しく着飾り、花婿の小羊・イエス様が迎えて下さり、そこで盛大な婚宴が開かれるのです。人とキリストの結婚式と天国は描かれます。神との深い結びつきは、神との豊かな祝福の世界への招きです。この結婚はこの世の結婚制度を越えた神の永遠の結びつきを示すのです。
2、天使のようになる
第二番目に私たちが死者の復活に与る時には「25節:天使のようになる」と言われます。
へブル書では天使は絶えず神の傍にいて神を賛美する存在として描かれます。天使は神に栄光を帰し、神の栄光に包まれ、神を礼拝し、続けるものです。「復活した時、人間は神を礼拝する存在」へと変えられます。
天使はアンゲロス(G)ですが、それは伝令者の意味です。神の言葉を知らせる使者としてイエスの母マリアに現れた話を知っておられると思います。そのように私たちが復活した時には互いに神の良き知らせを語り合う者となります。
また、天使たちは人間が歩む道すべてで彼らを守るよう神から命じられている。「主はあなたのために、み使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手に乗せて運び、足が石があなたに当たらにように守る。」(詩91:11-13)。
天使は人間を守る者です。人は神の力でよみがえる時に、神の使い、僕の姿に変えられるのです。
3、アブラハムの神イサクの神ヤコブの神
さらに第三番目にイエス様は「26節:復活をもたらす神は「アブラハムの神。イサクの神、ヤコブの神」と言っています。この言葉は出エジプト記3章で神ご自身がモーセに語れた言葉として記されています。
アブラハムは信仰の父と呼ばれました。アブラハムは生まれ故郷を出る時に「神様から約束」を与えられました。「あなたの子孫は星の数のようになる」という約束でした。神は「契約の神、約束の神」であることが示されます。神は約束をし、守る神です。「ヤッハウェ・カーラット」です。
イサクは薪の上に乗せられて神に捧げ物、献納物とされそうになりますが、「一匹の山羊」を与えてイサクを救いました。神は「罪の贖いの代理の捧げもの・キリスト」を与えて下さる方です。復活すると人はイエス様の贖いに心から感謝する者へと変えられます。そして神への捧げものを心から感謝するのです。
ヤコブは兄弟に追われ石を枕にして砂漠で過ごしました。その時荒野で天へかかる梯子を夢幻で見ました。ヤコブは助けられて神様から「イスラエル(イーシュ・ラエール:神は勝利者)」と言う名をもらいます。彼はイスラエル12部族の父、祖となりました。神の祝福を受け継ぐ者となりました。復活の神は祝福を受け継がせる者を起こすのです。
このようにしてアブラムの神、イサクの神、ヤコブの神とは人を助け、導き、憐れみ、命を与える神です。死からの復活もまた、このように、命を与える神であり、すべての人が復活する時、死は克服され、命の世界が到来するのです。
4、死んだ者の神ではなく、生きている者の神
最後4番目に「27節:死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。」と定義しています。
死んだ者とは「希望なく死んだ者」です。希望なく死んだ者は絶望を神とします。死んだ者は虚無を神として死にます。プーチンが核兵器をチラつかせます。核兵器は絶望と死の兵器です。「核兵器を最終の神」とすることは「絶滅と完全破壊を神とすること」です。完全な創造の破壊を神とします。これは「死神」を神とします。
しかし聖書の神は死んだ者を生き返らせる神です。生きている者の神、命を与える神です。命無き者を命で満たし、無から有を生じさせる創造の神。虚無の中に生きている者を命の世界へ甦らせます。むなしく生きるものを生き生きと天使のような存在として変得ていく神です。
今日は主の晩餐式を行います。この主晩餐式は主の来臨を待ち望む希望の式です。「主の血と体に与る時、私たちは真の生きた者として復活の命に与るのです」
あなたは今日キリストの復活と来臨という命に与かり、あなた自身が復活するのです。喜びの時なのです。