2022/01/16『わたしの家族』

わたしの家族

2022116日マルコ3章31-35

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Story1:家族

現在はパートナー婚、同性婚を認められるようになりました。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイア等の家族や課題も語られるようになりました。また東京では4割以上が単独世帯です。核家族から原子核家族になっています。「無縁社会」という言葉のように人間関係を結ぶ絆はほぼ切れてしまっている社会になりました。婚外子の子どもの数と婚姻関係にある子ども数がほぼ同じです。また8050問題と言われる80代の親を50代の子どもが介護する時代です。

 連続殺人犯永山則夫の精神分析をNHKのテレビでやっていました。網走の貧しい海沿いの貧しい家族で育ち、五所川原に引っ越してからも長屋に暮らして、母親の虐待は続き、育児の放棄、経済的な貧しさ、乱れた性関係、争いの絶えない夫婦関係などを経験します。家族が持っている病的な部分が人格形成にどんな影響を与えるか、家族の在り方を問われる思いがします。

Story2:話の発端

 3:3132節は話の発端が描かれます。「イエスの母と兄弟たちが外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます。」

 6:4によるとイエスには「ヤコブ/ヨセ・ユダ・シモン」という兄弟がいました。マルコ6:3では「マリアの息子」と呼ばれています。イエス様が公生涯に入り活動していたころには、父ヨセフは亡くなっていたのではないかと言われます。母子家庭の可能性もあります。

 しかしなぜ家族がやって来たのでしょうか?それは3:21-22にあります。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。あの男は気が変になっている」とあります。律法学者たちは、「あの男はベルゼブルに取りつかれていると言い、悪霊のかしらの力で悪霊を追い出していると言っていたからである。」(マタイ12)とあります。

 イエス様は悪霊つき、トラブルメーカーと見られていました。わざと波風を立てる問題児と見られたのです。しかしイエス様は様々な誤解を受けても、十字架の死に至るまで、神のみ心を示す方として生きました。イエス様は罪ある人間のために愛することや助け合うことを語り神のみ心を示してその生涯を生きられたのです。

Story:神の御心を行う者こそ

 次に、イエス様が答えられた言葉を見てみましょう。34節:「見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心(原文は神の意思)を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」と言います。

 この個所で大切なことは第一にイエス様は家族の反対があっても神の言葉に生きる者が本当の家族なのだと語っています。イエス様はこの主張を取り下げなかったのです。それは十字架に付けられる結果を招くことを覚悟した言葉でした。家族を十字架の死から考えています。村八分になっても、十字架に付けられても神の御心を行うことが「家族」なのです。イエス様の命がけの言葉であったということです。

第二に「神の御心を行う人こそが兄弟、姉妹、母である」ということです。イエス様は言わば通常、普通の人間関係からなる家族とは別の家族について語っています。家族を本当の家族にするのは、「神の御心を行う人々」です。イエス様は「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」(マタイ1037)と言われました。

なぜなら現実の家族を一層豊かにするのは、神の言葉であり、キリストへの服従から生まれるからです。家族を家族にするのは「神の言葉」です。

イエス・キリストを第一とすることによって、もう一度、家族を家族として受け取りなおしていくのです。

 聖書は旧約以来家族の救いを願っています。神様はノアに「あなたとあなたの家族は皆箱舟に入りなさい。」と言われました。神裁きの洪水から家族は救われます。神様はアブラハムに「あなたの家族は星の数のようになる」と言われました。家族の救いを約束されます。エジプトに下ったヨセフは「家族と共にエジプトに住み」ます。それも神の計画でした。出エジプトの際に「鴨居に小羊の血を塗ったイスラエルの人々は神の裁き」を逃れます。神はイエスラエルの家族を救います。バビロン捕囚からカナンの地に帰ったイスラエルの民に「神はその家族に従って嗣業の地」(ヨシュ13:15多数)を与えます。家族の救いは神の深い願い祈りです。主は家族の救いをねがっています。詩編は「主はその家族を

羊の群れのようにされた」と感謝の祈りを捧げています。使徒言行録でも「あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)で語っています。

 家族の救いは主の一番の願いなのです。私たちは家族の救いを諦めずに祈り続けるべきなのではないでしょうか。

 

 

Story4:家族のために祈りましょう

「はっきり言っておく。(アーメン)わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は誰でも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」(Mk102930)と言っています。これはどういう意味でしょうか?世捨て人のキリスト者に成りなさい。人間の家族など儚いものだから、家族を捨てなさいという意味でしょうか。決してそうではありません。

家族を家族にする根源はキリストの贖いや十字架やキリストにある希望が家族の根源です。

 永遠の命の体験を家族にもしてほしいというイエス様の切なる願い、祈りです。皆さん諦めずに祈り続けましょう。

 

「あなたがたはもはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、・・そのかなめ石はキリスト・イエスご自身である。キリストにおいてこの建物全体(教会=神の家族)は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(エフェ2:1922)とあります。教会を建てるとは神の家族を建てあげることです。豊かな神の家族である会堂を建て上げることができるのです。