2022/01/02『福音のスタート』

福音のスタート

 202212日マルコによる福音書114-20

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Story1:一年の始まりに

 新しい一年が始まりました。一年の計は元旦にありと申します。日記帳やダイヤリーも新しく買われた方もあるでしょうか。この一年はどんな一年になるでしょうか。年をとったのでいつもと何も変わらい一年とあきらめているでしょうか。何かの目的を決めて新しいチャレンジをしてみようと決めておられるでしょうか?

Story2:神の福音を宣べ伝える

 イエス様はガリラヤ湖の周辺から伝道の生活を始めました。14節に「ヨハネが捕らえられた後」であったことがわかります。それは領主ヘロデアンティパスに捕らえられて、殺害される事件にまで発展してしまいます。イエス様自身も逮捕され、殺害される危険が及んでいたことを伺わせます。自分も殺害されるかもしれない緊張感の中で伝道を開始しました。

 今年も多くの苦難が押し寄せて来るかも知れません。しかし私たちはキリストの福音を語り継いでいくのです。迫害があっても、自分の罪深さが見えても、財政的な問題が教会にあっても、目に見えない迫害があっても、私たちはキリストの教会として福音を語り継いでいくのです。説教し続け、教会学校を行い、祈りを盛んにして福音を語り続けましょう。

Story:悔い改めて福音を信ぜよ イエス様の第一声は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」(15)です。イエス様が求めていることは、「悔い改めて福音を信ぜよ。」ということです。第一に「悔い改めなさい」です。悔い改めなさい。原語は「メタノイア」です。外側だけではなく内側も取り換える、内側を変化させる、内側のものを取り換える、心を入れ替える。中身を入れ替えるという意味です。

 例えば箱の中に古着が入っていたら、新しいのに入れ替える。私たちは何年も着ないものを大切にしまっておいたり、取って置いたりしたいものです。急須の中に古いお茶が入っていたら全部捨てて入れ替える。古いのをまだ使えるとおもったりしていませんか。ポットの中に古いお湯が入っていたら捨てて新しいのに取り換えることです。外だけ代えるのではないのです。

 皆さんは心の中に古いものが溜まっていないでしょうか。神様の福音に入れ替えるのです。全部捨てて入れ替えるのです。新鮮な神様の神の国、神様の言葉に入れ替えましょう。パウロは言いました。「心の深みまで新たにされてキリストに従う」と言っています。全部入れ替えて「新しい霊」を頂きましょう。

Story:父と雇人を残して従った

 さてイエス様はガリラヤ湖の付近に行かれます。そこで二人の漁師に出会います。シモンとアンデレという二人の兄弟の漁師でした。彼らは網の手入れをしていました。そこにイエス様は立ちより二人に話しかけます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(17)。と声をかけました。二人はすぐに網を捨ててイエス様に従いました。

 さらに進んでいきました。今度は「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネに出会います。」(20)そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネに声をかけます。するとこの二人は「父ゼベダイと雇人を舟に残してイエス様の後に従いました。」(20

 イエス様は私たちが働いているのをご覧になっています。そして私たちに声をかけます。17節「わたしについて来なさい。」また20節「およびになります。」イエス様はあなたを弟子になさろうとしています。彼らはイエス様に従っていきました。

 このような話をすると何か偉大な、立派な伝道者や宣教師にならなければならいのではないかと思ったりするかもしれません。また自分は立派な弟子になるように召されていると思う方もあるかもしれません。

 そうではありません。弟子というのは自分の生活の範囲で良き弟子になることが大事です。「何か大きなことをさせようとしている」のではないのです。

 自分の生きてる範囲の中で弟子になることです。ささやかな与えられた才能を主に用いてもらうことが大事です。生活の中でイエス様のようにいきることではないでしょうか。名もなき者のためになき者がイエス様のように生きる時に本当の献身が生まれます。自分を越えて有名人のクリスチャンになることは必要ありません。有名人のクリスチャンになる人はその様な人に任せれば良いのです。

 坂元はパウロやカルバンやルターのようなキリスト者になる必要はありません。坂元は坂元で充分なのです。

 与えれた自分の生活、子どもたち、仕事をありのままで、イエス様の仕事にしていけばよいのです。共に祈りつつそのような生涯をおくりましょう。