2021/12/26『この方こそ神の子』

この方こそ神の子

 20211226日:ヨハネ福音書12934

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Story1:一年を終わる時に

 神田沙也加さんが亡くなりました。松田聖子や神田正樹はわたしたちにとって青春の時代です。娘を失った松田聖子さんはどんな思いだろうと思うと心苦しくなります。その死を受け入れがいの出ないかと思います。個人的に今年10月義兄を失った経験もあり、悲しみが増し加わります。

今年も最後の礼拝を迎えました。この一年夏は、コロナウィルスの第4波が拡大し、8月には再度緊急事態宣言と蔓延防止処置が21都道府県まで拡大されました。これに伴って礼拝の休止や教会活動の休止に至りました。財政的にも大きな課題を残しています。コロナウィルスによる影響は甚大です。湘南台にある三菱UFJ銀行が撤退し、ATMだけになりました。また小売店舗や小さなレストランも閉鎖に追い込まれています。世界中にその影響が出ています。

この様な中で、Zoomを用いた集会、委員会が急速に広まり、その長所や短所が色々と論議される時代になりました。わたしたちの教会もSNSをどのように有効に使った伝道を行うか、今後も検討していかなければなりません。Zoomと宣教の拡大は深く結びついている時代です。

Story2:神の小羊

 聖書はこの様な時代に何を語っているのでしょうか。バプテスマのヨハネをキリストのことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29)と呼んでいます。人間は自分で罪を贖わなければなりません。しかし人間の罪を小羊に背負わせます。小羊は人間の罪をかぶって、屠殺場に連れて行かれ、殺され、内臓を出され、祭壇(ミッズべック:スシアステーリオン)という特別の祭壇で焼かれて、神に捧げられます。罪の代価を小羊が贖い、罪を取り去るのです。

 癌があったらそれを切り取る。リンゴが痛んでいたらそれを切り取って捨てる。イエス様はわたしたちの罪を取り除いて下さる。そして健康にして下さるのです。

バプテスト誌の1月号に森岡典子さんの証が載っています。私が20歳前後の時に教会でお世話になったかたです。息子さんの全君とご主人を亡くされました。「今あるは主の恵み」と感謝しておられます。イエス様は私たちを慰め、励まし、支えて、罪や苦しみや痛みを「取り去って」下さるのです。

Story:先にいる方とは

 バプテスマのヨハネは、キリストを「わたしにまさる方。わたしよりも先におられた方。」(30)と告白しています。全く同じ言葉は1:15にも出てくる大切な言葉です。「先にいる」とはギリシャ語で「プロトス(原型)」です。

キリストは人間の原型なのです。人はキリストのように生き、キリストのように涙を流し、キリストのように人を愛して生きるのです。わたしたちはキリストに似た者として生きているのです。

ですからキリストはわたしたちの苦しみや痛みを先に知ってしまっているのです。私たちの生き方はキリストの姿をしているのです。

 前逗子第一教会の斉藤隆先生が召された記事が載っていました。72歳でした。斎藤先生とは牧師会や連合の役員会などでご一緒することも多い先生で、訃報を聞いたときは本当に信じられない思いでショックでした。真面目な先生でした。一緒に牧師ファミリーキャンプで手遊びをしたことを思い起します。いつのまにか死んでしまったという感じがしています。わたしたち人間は影のように去り、影のように変わって行くという言葉がありますが、わたしは生きていることの刹那な感じを思いました。

 イエス様の公生涯はわずかに数年です。そして十字架の上で強盗と共に傷を負って死なれました。キリストはわたしたちに人の生き方の原型のように思います。キリストはわたしたちの苦しみを充分に先立って経験した方です。深くその悲しみを知って下さっているのです。

Story:聖霊によるバプテスマ

 32節では「霊が降って来てはとのようにイエスのもとにとどまった」。33節では「聖霊によってバプテスマを授ける人」であることが分かったと言っています。

 ここで大切なことは水でバプテスマを受ける、授けるだけではなく、そこに聖霊の働きがあることです。バプテスマの体験は、もちろん水の体験ではありますが、そこに「聖霊が働くこと」です。

聖霊が内住する実体験、聖霊が自分を新しく生まれ変わらせる体験、聖霊によって古い自分が死に新生する体験がバプテスマの本質です。聖霊は日々刻々と働きます。日常の中で常に働きます。

パウロは後に「聖霊は覆い(おおい)は顔の取り除き、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられて行く」(コリ3:17)と語っています。この体験が聖霊によるバプテスマの体験と言っても良いと思います。これらを経験する場が教会や祈祷会や諸集会です。また日常での聖書の朗読と祈りの時です。聖書を読んで聖霊を経験しましょう。祈って心きよめられ、慰められる経験をしましょう。