2021/12/19『すべての人を照らす真の光』

すべての人を照らす真の光

   20211219日ヨハネ福音書11-18

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Story1:光に照らされて

 わたしが小学生56年生の時に、すぐ裏山に大きな防空壕ありました。缶詰の空き缶にぼろきれを詰めて、灯油を入れて火をつけて探検に行きました。50mも行くと真っ暗になって横穴が幾つもある所に出ます。コウモリがたくさんいるので、飛んでくるのを皆で楽しんでいました。油の灯りは暗闇を照らし、自分のまわりを照らし、道案内になります。

クリスマスは光の祭です。キャンドル、LDライトなど、光りを大切にしてきました。今日もキャンドルを飾りました。実物教育です。光は神様の象徴です。

聖書は神様を光として描いて来ました。モーセは「雲の柱、火の柱」によって砂漠の中を導かれました。またモーセに、「燃える柴」の火の中から神は語りかけました。エゼキエルは神の神殿の幻を見て、「神が臨在なさる光輝く神殿」の姿を語りました。神殿は神の栄光の光で満ちていました。マラキは神を「彼は精錬する者の火のように輝く者」と表現しています。詩編では「あなたの顔の光りをわたしに向けて下さい」と祈っています。

マタイはイエス様を「異邦人を照らす啓示の光り」と現しています。パウロはイエス様との体験を「突然、天からの光りが彼のまわりを照らした。サウロは地に倒れた。」という体験をしました。ペテロではわたしたちは「驚くべき光の中へ招かれている」語っています。神体験とは光の体験でもあります。聖書は光である神との出会いの連続です。

Story2:光であるキリスト

 キリストは光であると何度も書かれています。「命は人間を照らす光」(4)「光は闇の中に輝いている。闇は光を理解しなかった。」(5)「光について証しをする」(6)「まことの光ですべての人を照らす」(9)「わたしたちはその栄光を見た。」(14)であるとあります。

 今年は一人でキャンプをする「ソロキャンプ」が大流行でした。一人で小さな焚火を作り、静かに火を見つめながら食事をし、コーヒーを飲む。ゆっくりした時間の中で小川の音や森の音を聞きながら静かに過ごします。暗闇に輝く光はわたしたちの道すべになります。クリスマスに輝くライト、蝋燭の光り、小さな光の集まりはわたしたちに温かい希望を与えます。その小さな光を見つめると静かに心が落ち着いてきます。

キリストはいつでもわたしたちの心を照らす静かな光です。静かにキリストの光りを見つめるときわたしたちの心は満足するのです。

Story3:言葉であるキリスト

次にヨハネは、キリストは「言」であると教えています。「言があった」(1)「言は神と共にあった。」(1)「言は初めに神と共にあった。」(2)「万物は言によって成った。」(3)「言の内に命があった」(4)「言は世にあった。」(10)「世は言を認めなかった」(10)「言は肉となりわたしたちの間に宿った」(14)など何回も出てきます。キリストは神の言であり、神の言をこの世で示した方です。

言葉は「言」の一文字です。他に「言葉」もあります。「詞・弁・辞」などがありますが、ここでは「言」を使っています。

見えない神の言は、イエスの言に現れています。見えない神は歴史の中に誕生し、現れ、神の言を語り神の言としていきました。見えない神はキリストの姿を見るとして、見えるのです。

 「口は災いの元」と言います。言葉は心を現し、人格を現し、人柄を現し、コミュニケーションの仕方を現します。わたしたちは言葉と心に磨きをかけることが求められているのではいでしょうか。色々な教会員やクリスチャンに出会いますが、敵愾心を持っていたり、競争心をもっていたり、強い不安感をもっていたりする方は大変多いと思います。

しかしキリストの言葉は常にわたし自身を生かし、励まし、支え、喜びを与え、神の国の栄光を体験させてきました。キリストの言葉は命を与える言葉です。

Story4:満ちているキリスト

 最後にキリストは満ちている方と記されています。「父としての栄光であって恵みと真理に満ちていた。」(14)「この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵の上にさらに恵みを受けた。」(16)キリストは満ちあふれる豊かさを持つ方です。満ちあふれるは一杯になって外にあふれ出ることです。「えがおに満ちあふれる」と言えば楽しいことや嬉しいことが心一杯になって外にあふれ出ることです。

愛に満ちあふれる、希望に満ちあふれる、人間愛に満ちあふれる、笑いに満ちあふれる・・・喜びは外にあふれ出る様子です。

 イエス様は喜びと愛に満ちあふれた方でした。貧しい生活でしたが人を大切になされた方です。とどまるところを知らない喜びに満ち溢れた方がイエス・キリストです。キリストはわたしたちの人生を喜びで溢れさせて下さる方なのです。

パウロはいつも喜んでいなさいと語りました。彼はキリストの喜びに満たされていたのです。その生涯でした。立派な伝道者だったから喜べたのでありません。逆です。キリストの関係をしっかり築きキリストの聖霊によって溢れる喜びを与えられ、受け取っており、体験していたから宣教者として立てたのではないでしょうか。

 私たちは多くの労苦に出会い、光の見えない世界、どうしたらよいのか希望の無い世界を生きていきます。主よ、私の光となって下さい。道を照らし歩ませて下さいと祈ります。

 

「あーなたのみ言葉は、わが、あーしのとーもしび、わが、みーちのひーかりー、くらやみを照らしだーす、みーちのひかりー」

 

とゴスペルソングにあります。光である主と共に歩んで参りましょう。