2021/12/12『彼こそ、まさしく平和』

彼こそ、まさしく平和

20211212日ミカ5章1~5;アドベント第3

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Story1:国連のモニュメント

19969月わたしはニューヨークの国連本部の見学ツアーに参加しました。国連の総会議場や案保障会議議場などを見学しました。国連には色々なモミュメントがあります。有名なのは「発射することが出来ない銃」のモニュメントで、銃口の先が「糸の玉結び」のように結ばれています。武力の行使を否定するものです。

また今日の聖書箇所が大きな壁になっているモミュメントもあります。ただしこのモミュメントはイザヤ書の言葉で書かれています。ミカ書と同じ言葉がイザヤ書にもあります。

同じ個所のモミュメントは銅像のもモミュメントもあります。剣を打ち換えて鋤にするという力強い人物の銅像です。聖書の言葉が世界平和を求める人々の願いであり、理念であることに心を打たれました。聖書は平和を求めます。私たちの日常の中で、主の平和の使者として平和を求める生活をしたいと思います。

Story2:同調圧力とミカ

ヤーウェはミカは預言者として立てます。彼は戦乱が近い中で「イスラエルの指導者たち、祭司や宗教者」達を痛烈に批判し、ヤーウェのみ言葉に従い、平和をつくり出すように警告します。

考えて下さい。すべてが戦争に向かっていく日本の軍国主義の中で軍部を批判し、政治家を批判し、国家神道に従う宮司や祭司たちを批判することがどんなに大変かを。戦争は同調圧力の最たる運動です。翼賛主義です。強制的な神社参拝、批判的な人間の抑圧、軍事力が圧倒的に劣る戦争の無謀さを批判することは、命を失う危険行為なのです。内村鑑三や美濃部達吉は抑圧され思想の自由は無くなりました。

そのような中でミカは平和を語りました。

Story3:どんな救い主か

さて本日の個所では新しい救い主が生まれることを預言します。それではどんな王が到来し生まれると言うのでしょうか。「彼はいと小さき者から生まれる」(1)、「彼はイスラエルを治める者」(1)、「彼の出生は古く、永遠の昔に遡る。(1)、「彼は立って群れを養う」(1

新しい救い主は「いと小さい者」です。偉大な毛沢東のような偉大な解放者を求めるかも知れません。しかし新しい解放者は「小さな者」です。決して強い英雄ではありません。   

この救い主が「イスラエルの群れを養う」のです。平和の使者は実にささやかな者です。ナポレオンのように堂々の白馬には乗りません。ヒットラーのように大群衆と軍人に囲まれて来ることはないのです。ゼカリヤ9:9では「ろばに乗って来る方」と言われます。白馬に乗った天皇でもない、外務大臣松岡洋祐でもない、東条英機でもない、靖国の祭神でもない、マレーの虎・山下奉文でもない、新しい救い主が生まれると語るのです。

Story4:「核弾頭を破棄する方」

「彼こそまさに平和である。」(4)、

「主の力、彼は神である主の御名の威厳を持つ」(3)とあります。この「ささやかな救い主こそがまさに平和」なのだと言われています。

 この救い主は平和そのものであり、和解そのものであり、争い対立を克服した平安の姿を示す方です。彼の働き、彼の言葉、彼の生活、彼の生きざまはまさに平和を示すのです。

イザヤ9:5では「驚くべき指導者、力ある神、永遠の指導者、平和の君」と呼ばれています。ゼカリ9:9では「軍馬を断ち、戦いの弓を折る方」と言われます。

現代風に言えば「B29を破壊し、核兵器を断ち、ステルス戦闘機を壊し、核弾頭の付いた兵器を破棄し、原子力空母や原子潜水艦を破棄する」という意味でしょう。

Story:「残りの者の思想」

 今日の最後に「残りの者」について語らねばなりません。5:2「その時、彼の兄弟の残りの者はイスラエルの子らのもとに帰って来る」と言われています。この「残りの者」とは「バビロン捕囚から逃れてふたたびイスラエルに帰ってくる人々」を言います。神様が導き、助け、砂漠を歩ませて下さり、危険を逃れさせて下さりながら、エルサレムに帰る人々です。彼らはイスラエルに帰り着き、再び神殿を建設し、再び律法を整わせます。そして神殿で礼拝を捧げ、捧げものを捧げる人々となります。

 旧約聖書学者たちは、例えばノアが助けた一家も残りの者だと考えます。彼も箱舟を建造して、滅びから救いました。またモーセが率いた民も、残りの民であると言います。モーセは罪の世界エジプトからイスラエルの人々を救い出しました。またアブラハムが率いた民も残りの民であるという人もいます。そしてキリストに救われて神の国へと導かれていくキリスト者、神の民もまた「残りの者の民」と言えるでしょう。

 教会はイエス・キリストに導かれてキリストのおられてる神の国へと導かれて行く神の民、「残りの者の群れ」です。今日礼拝に集っておられる皆さんは、わたしたちは「残れる民の群れ」です。神の使命を果たすために神様はこの教会に私たちを招いて、神の務めに生かされるのです。

 4節に「彼=小さな救い主は、7人の牧者・八人の牧者」を立てるとあります。私たちはこの「残りの者」です。

敵が攻めて来たときに「これら牧舎がイスラエルの民」を救うのです。

 同じように教会員の我々は人々を救い守り、支える者です。この世にとって「神のみ旨を行うために立てられた残りの者の11人なのです。」