主よ、来てください
2021年11月28日イザヤ11:1-10
Story1:心待ちにして
この前、女子プロゴルファーの女子選手が女子スパーレディースで初優勝しました。テレビの優勝インタビューを受けました。インタビュアーが「次の目標は何ですか?」と訊きました。するとその方はニコニコして、ほほえみを浮かべて、「今度、東京オリンピックで銀メダルを獲った稲見萌寧さんと一緒にプレーするんです。ショットの精度が凄いんです。一緒にプレーできることを楽しみしています。本当に心待ちにしているんです。色々学びたいし、オリンピックの体験を聞きたいし、早くその日が来ないかなあ~」と答えていました。期待して待つ喜びが溢れていました。心待ちにしている喜びが伝わって来ました。
アドベントに入りました。新しいイエス様、新しい聖霊に、新しい神様の姿に会えると思っています。クリスマスの時を楽しみしたと思います。
Story2:霊に満ちた方の誕生
アドベントやクリスマスには今日の個所を必ず読みます。到来する救い主、これからやってくる救い主を語っています。
「エッサイの株」「そこから出た芽」「一つの若枝」「主の霊が留まる」方と語ります。到来する救い主とは、ダビデのような王のイメージがあります。しかし聖書はさらに、救い主がどんな方かを2~3節で詳しく語ります。2節には8つの霊が記されています。「主の霊・知恵の霊・識別の霊・思慮の霊・勇気の霊・主を知る霊・主を畏れる霊・主を敬う霊」の8つです。
「主の霊に満ちた方」とは神の性質を持つ方です。「知恵の霊」とは物事の本質を見抜き善悪を見極める霊です。「識別の霊」とは物事の違いや種類を混同しないで見分ける霊です。「思慮の霊」とは物事の道理を見極めて、正しく物事を一歩深く考え判断する霊のことです。「勇気の霊」:神の言葉を生き、神の御心を生き抜く力に満ちている霊です。聖霊は勇気を与えます。「主を知る霊」とは神の御心を一心に求め冷静に御心を探求する霊です。「主を畏れ敬う霊」とは神に畏敬の念を持ち、人生の先達として敬い、謙遜に神に服従する霊です。
救い主はこの様な霊に満たされた方です。教会は聖霊と出会い、聖霊を呼び求め、聖霊を受け、聖霊の中で喜ぶ場所です。ここはまさに聖霊が働く場所です。その時教会は教会とされます。聖霊の場所として聖別しなければなりません。先週西南学院大学院長の寺園良基先生の講演を聞きました。先生は先輩の猪城牧師が「自分の心をカラッポにして聖霊を充満させよ」という信仰を教えられたことを話して下さいました。信仰の力量ではなく、心をカラッポにして聖霊を充満させたいと思います。
Story3:裁きの行為
次の3b節~5節は8つの裁きについて記しています。「目に見えるところによって裁かない・耳にするところによって弁護しない・弱い人のために正当な裁きをする・貧しい人を公正に弁護する・口の鞭をもって地を打つ・唇の勢いで逆らう者を裁く・正義を帯とする・真実を身に帯びている」という8つです。
「見えるところ、聞くところで裁かない」とは表面だけで判断しないことを意味します。イエス様は霊的な洞察力が深い方でした。聖霊と共に生きることないキリスト者は方面だけしか見えません。「弱い人・貧しい人を弁護する」とは見過ごされた人、目につかない社会的な弱者と共に生きることを意味します。「唇で打つ・逆らう者を裁く」とは自分の立場のみを強引に主張して上から目線で、役に立たない者は退けるこの世的な裁きを意味しません。弱い立場にある人を正当に扱います。神の正しい唇や口すなわち正しい言葉で裁きます。正義と真実を語り守り、貫徹する方です。それが到来する救い主です。
Story4:平和の主の誕生
3~8節は平和の主について8つを語ります。「狼が小羊と共に宿る・豹は子山羊と共に伏す・子牛は若獅子と共に住む・小さい子どもが導く・牛も熊も等しく草をはむ・乳飲み子は毒蛇の穴に手を入れる・幼子は蝮の巣に手を入れる」。8つです。
繰り返されるのは「共に」生です。強者も弱者も搾取されず共に生きる。草食動物も肉食動物も食い合うことなく平和に共に生きる。弱者も片隅に置かれることなく大切にされる。子どもに大人が学ぶ世界になる。殺し殺される世界は消えて、平和な世界が来ることを示します。
聖霊と関係させて考えると、単に個人的に信仰熱心になることを意味しません。それは他者と争わず、互いに搾取されることなく、他者を食い散らかさず、誰も犠牲にすることなく、平和を作ることです。
豹、狼、熊、獅子、毒蛇、蝮はアッシリア、エジプト、バビロニア等の大国を意味し、子どもたちはイスラエル犠牲者、戦争で犠牲なった女性や市民を意味しているとも理解されています。そのような犠牲の世界は終わり、新しい平和と和解に生きる世界を築く方が到来することを示しているのです。主が到来するとは平和的な社会がが来ることを意味します。
平和は今年も遠いように思いました。ミャンマー、ベラルーシ、エジプト、ウガンダ、シリア、アフガニスタン、ルワンダ等紛争が今でも続き、平和な時代とは言い難い時代です。涙を流し苦難に打ちひしがれるのは、女性、子ども、障害を持った人々、経済的に社会的に脇に置かれた人々です。
Story5:主を知る知識で満ちる
9節~10節の最後の部分では主が来られる時には完全な平和が満ちることを語っています。「聖なる山では何ものも害しない・何ものにも滅ぼされない・世界は主を知る知識で満たされる・その日は必ず来る・その日は「エッサイの根すなわちダビデのような王キリストは旗印となる・世界の人々(国々)はキリストを求める・キリストのいるところは栄光に輝く」です。
「聖なる山」とはシオン山のことです。この山は神の完全な臨在を示します。完全な至聖所です。この至聖所は「主を知る知識が満たされた世界」であり、「その日」すなわち「救い主が到来する日」は「希望の旗印」となり、全世界が「栄光の輝く場所」となるのです。完全な救いの達成の時です。キリスㇳは正にそのような方として終末に到来します。そして平和の国を造ります。
わたしたちはクリスマスを楽しみにして待ちます。アドベントはクリスマスを待ち望む時期です。キリストが誕生した時に世界は主の知る知識や喜びで充満します。それは単に教会と言う限定された場所に神の喜びが充満することを意味しません。それはこの世に、この宇宙に、この世界全体に、この広い日本全体に、主を知る知識が充満することを意味しています。
皆さんは心楽しく主の到来を待っておられるでしょうか。悲しい顔をして待つことはないのです。ゴルフの女子選手のように、本当に会いたい人と会う日を心待ちにして期待して待つのです。
資料
A)11:1~3a:聖霊に満ちたキリスト
番号 |
聖霊に満ちた方 |
聖霊であるキリスト |
① |
エッサイの株・一つの枝・若枝 |
・ダビデのようなキリスト 系図;ルカ・マタイ、奇跡行為者;マタ15:22、メシヤはダビデの子:ロマ1;3、ダビデの町(ベツレヘム)での誕生;ルカ3:31、ダビデの鍵を持つ方;黙3:7、ダビデの子孫からの救い主誕生;使徒13:23 ・知恵・識別・思慮・勇気・主を知る・主を畏れ敬う 聖霊に満ちた方 |
② |
主の霊 |
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③ |
知恵と識別の霊 |
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④ |
思慮と勇気の霊 |
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⑤ |
主を知り・主を畏れ敬う霊(2回) |
B)11:3b~5:裁き主キリスト
番号 |
審判者キリスト |
貧しき者の弁護者キリスト |
① |
目に見えるところによって裁きを行わない 耳にするところによって弁護しない |
・審判(ジャッジメント)を行うキリスト ・「見えるところ・耳にするところ」という 表面だけで軽率に審判を行わない ・深慮を尽くす方 ・正義と真実を身に着けている方 ・「神の言葉・神の正義・神の真実」が貫徹される ・「貧しい人。弱い立場にある人」が第一とされる
|
② |
弱い人のために正当な裁きを行う 貧しい人を公正に弁護する |
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③ |
口の鞭をもって地を打つ 唇の勢いで逆らう者を裁く |
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④ |
正義をその腰に帯とする 真実をその身に帯びる |
C)11:6~8:「共に」を生きる王キリスト
番号 |
「共に」を成就するキリスト |
平和・共生の執行者キリスト |
① |
狼は小羊と共に宿る 豹は子山羊と共に伏す 子牛は若獅子と共に育つ |
・強者も弱者も平和に生きる ・草食の動物と肉食の動物が共存する ・弱肉強食ではない「共に」の世界を来たらせる ・弱者が大事にされる世界 ・子どもが導く世界・弱い者がリーダーとなる世界 ・殺し殺される世界は消え、平和が実現する |
② |
小さい子どもが導く |
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③ |
牛も熊も共に草をはむ‥共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を共にはむ |
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④ |
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れる 幼子は蝮の巣に手を入れる |
D)11:9~10:キリストで満ちる世界の到来
番号 |
平和の成就者キリスト |
旗印(ニシ)であるキリスト |
① |
「聖なる山で」は何ものも害を加えない 「聖なる山」では何ものも滅ぼされない |
・害を加えるものがない世界 脅迫・強制・脅し・ 強制的な滅びは存在しない世界 ・主を知ることで満ちあふれる ・「終末の時=主を知る喜びで満ちる日」が来る ・「エッサイの根」が中心になる ・エッサイの根が到来する時は栄光に輝く |
② |
大地は主を知る知識で満たされる |
|
③ |
「その日が」来る 「その日」には「エッサイの根は旗印」 |
|
④ |
「エッサイの根」は「すべての民の旗印」 国々は「エッサイの根」を求める 旗印の留まるところは栄光に輝く |
イザヤ11章1~10節:平和の王の到来 2021・11・28分級