2021.11/7 『光が射すと』

光が射すと

 202111月7日詩編119129136

Story1:人、死に出会う

ここ数カ月の間に大切な方々が次々と召されていきました。宇都宮時代にお世話になり、30年来祈りの仲間であって藤井倉太郎さんという方が亡くなりました。また逗子第一教会の牧師をして下さって一緒に活動した斉藤隆牧師が先月召されました。急な訃報で大変驚きました。また特に大変お世話になった親族、義理の兄が先週亡くなりお通、葬儀が行われました。鹿児島、柏市、佐賀県と色々な所に住んでいるので、電話連絡や相談が大変でした。癌が見つかってから本当に早い死でした。電報やお花を贈るなどあわただしい日々です。本当に日々を大切に生きたいと思わされています。

 また今月で手術後一年が過ぎて、この一年間を心から感謝しています。

熱心なキリスト教徒であったパスカルは「パンセ」の中で、「メメント・モリ」と古代エジプトの言葉を残しています。それは「死を記憶しなさい。」とか「人は死ぬものであることを覚えておくように」という意味です。高校生の時にこの言葉を知ったわたしは、「死から命を生きる」ということを考え始めました。「生きてから死ぬのではなく、死という現実から生を生きる」ということを考え始めました。死は終わりではなく、死は人生の出発点なのです。大学生の時に、イエス・キリストの十字架の死に出会って、「キリストと共に死ぬことから生き始める聖書の思想」に深い感銘を受けました。死は生に光りを与える恵みです。

Story2:光が射し出でる

 聖書は神様のことを「光」として表しています。9月にはエゼキエル書を学びました。「主の栄光」(3:23)、「火のようであり、琥珀金の輝きのように光輝に満ちた有様」(8:2)などと言われています。

今日の個所119130節で「み言葉が開かれると光が差し出で、無知なものにも理解を与える」と表現されています。神様の言葉から光が発して、輝き出るのです。エゼキエル書でも「天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。」(1:2)と言われています。マタイではイエス様のバプテスマの時に「天がイエスに向かって開いた。」とあります。使徒言行録ではステファノの殉教の際に彼は「天が開いて神の栄光と神の右に立っているイエスを見た。」(7:53)とあります。

 神の言葉はわたしたちに光り輝くように現れ出で、天が開かれてイエス様を見る、聖霊が降臨するのを体験するのです。私たちは神の言葉が輝き、理解や悟りを経験します。神秘的な経験です。あなたはこの経験をしていますか?み言葉や聖霊はわたしたちに天の窓を開いてその輝きを体験させてくださるのです。あなた自身はこの様な顕現、霊的覚醒の体験なしにみ言葉を語ったり、説教したりしていないでしょうか?神の顕現の体験を求めなさい。

Story3:理解を与える

詩篇119130節では、み言葉が開かれると「無知な者にも理解を与える」とあります。

 わたしたちは時として、自分の無知、無力、物を知らないこと、わきまえなくふるまってしまう失敗します。そして自分の信仰の未熟さに泣くこともあるのではないでしょうか。「自分の不徳のいたすところ」と言わなければならい経験をするのではないでしょうか。何歳になってもやはり世の人は機転が利くし、言い逃れが上手いし、問題をあいまいに解決するのがうますぎに、自分が馬鹿正直に見えてしまって、愚かな自分に嘆くこともあります。

 しかし神様のみ言葉は、私たちに開かれて「理解」すなわち、神の真理を常に教えて下さる、神の賢さをわたしたちに教えてくださると聖書は約束します。

Story4:神を求める嘆願の祈り

 131節から136節は深い求めを著しています。131:「わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます」とあります。

133節「足取りを確かなものにして下さい。」、134節「わたしを虐げる者から解き放ってください。」、135節「御顔の光りを僕の上に輝かかせてください。」、135節「あなたの掟を教えてください。」です。 あたかもゲッセマネの祈りのようです。136節「わたしの目は川のように涙を流しています。」

 わたしたちは時として、人生の苦しみに抑圧されて、押しつぶされそうになります。家族の問題、夫婦の問題、教会の問題、子どもたちの教育の問題、お金の問題、コロナウィルスのような死の予感に怯えるような問題が押し寄せて来て、夜も眠れないことがあるかも知れません。

  わたしの友人から手紙をもらいました。妻が大きな病気をして入院生活が続いた。10時間におよぶ手術をして40日入院し、退院してもなお治療が続いている。幸い一命は取り留めたが、いつ再発するかわからない。治療のたびごとに入院しなければならいということです。

 一週間先も命があるかないか、わからない生活の中で、プレッシャーに倒れそうになることもあるだろうと思います。「涙を流しながら祈っているのだと思います。

 

しかしヤーウェは常に共におり、一日一日を大切に生きるように私たちに語りかけているのではいでしょうか。