2021.10/10 『恵みがいつも追う』

恵みがいつも追う

詩編23編1~6

Story1: カワヨ牧場

青森県三沢市と言うところで私は伝道しておりました。青森は十和田湖があったり、奥入瀬渓流があります。一番好きなのは真冬の奥入瀬や十和田湖も白黒の水墨画の世界で大変美しいです。夏の緑も、まったくありません。秋の紅葉もまったく、なくなります。水墨画の世界に、スノーダスト雪の結晶、がキラキラと輝きながら舞い降りてきます。

 教会の近くにカワヨ牧場(カワヨグリーンロッジ)という牧場がありました。ここでは羊を飼っております。他に鶏や乳牛も飼っておりました。夏期学校で使ったり、教会のキャンプをしたり、お客様が来たら食事もできました。50haですから約17万坪あります。

東京ドームの10個分です。

 カワヨ・ロッジには羊飼いの専門の方がおられました。教会学校のキャンプでは、専門家に羊の病気、羊の性格、羊の種類、羊の食事、羊の食べ方など色々教えて貰いました。羊はおとなしく見えますが、気の荒い羊、気の弱い羊、人嫌いな羊、甘えん坊など羊によって性格が違います。また羊には名前が付いていて、黒足ちゃんとか白耳ちゃんとか、ブチブチちゃんとか名前があるそうです。羊飼いは掃除、毛を刈る仕事、子どもを産む、病気のための注射、など良く世話をしなければならないそうです。朝、小屋から出して、夕方には小屋の戻す等良くお世話をします。

Story2:わたしは羊飼い

 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主は私を緑の牧場に伏させ憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせる。」(23:1)とあります。

 「主は私の羊飼い」であると例えています。羊飼いは羊たちを青草の野に休ませます。水のほとりに連れていき、そこで憩わせます。羊は安心して草を食べることができます。

神様は私たちがけがをすれば手当をして下さいます。狼に襲われはしないかと「番」をしていてくださいます。「鞭」は狼などの獣を追い払うもの。「杖」は曲がっている先で羊を救い出すものです。

 私は病気で入院しました。看護婦さんやお医者様が私の羊飼いになって下さいました。病院は私にとって牧場になりました。私は入院中眠れないこともありました。ベッドの中で毛布をかぶって、小さな音量にして讃美歌をよく聞きました。夜にも主が見守ってくださることを体験し、安心して眠れました。身も心も休まる場所でした。夫婦や親子にとって、教会が病院の入院生活のように心休まる場所になればとつくづくと思いました。

Story3:死の陰を歩くとも

 「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導き、死の陰の谷を行く時も災いを恐れません。あなたが私と共にいてくださる。あなたの鞭、杖、それが私を力づける。」(4節)

  迷いやすい羊と共に神様は私たちと一緒に歩いてくださり、道を教えて下さいます。聖書の神様は正しい道に導き、私たちに正しい道を教えて下さいます。誤った道が何かを教えます。誤った道から決別する強い意志も与えます。自分が死ぬのではないかという予感がするような「暗い谷間」を歩くような経験をしている時でも、主が共にいてくださると言う平安を与えて下さいます。

 私は朝の祈り会が大好きです。いつも教会の朝630分からの早天祈祷会に良く出かけました。その時に一緒に祈ったのは網谷さんという70代の女性の方でした。その方は祈りの中に「これが道である。これによりて、歩めということを今日示して下さい。」という祈りをしておられました。網谷さんの口癖の祈りでしたので、この言葉をわたしは覚えてしまいました。

子どもにどう言葉をけるか、同じ職場で人に接するか。色々悩むことが多いです。そして神様の言葉でいきようとすれば、忍耐の道、黙って耐えなければならい道、言いたいことも安易に言えない慎重な道を選ばされるように思います。いっそのこと、議論したり、争ったりしたほうが相手の為にもなるように思ったります。でも後で考えると怒ったり、議論しない方が遥かに良かったと思います。後でそのことがわかって来ます。

Story4:恵みと慈しみが私を追う

 「命の限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。主の家に私は帰り、生涯そこに留まるであろう。」(56節)

 56節は神と共に生きる祝福が書かれています。

 「私を苦しめる者を前にしても、食卓を整え、つまり祝福の中に置いて下さり、頭に香油を注ぐ、つまり祝福の油を頭に注いで下さり、杯を溢れさせて下さる、つまりこれも豊かな神の愛を溢れさせて下さるのです。(5)

 そして神様の恵みと慈しみがいつも私を追いかけてくる(6a)です。皆さんは犬と一緒に遊んだ経験があるでしょう。犬は私たちが走ると後ろから走って来ることがあります。犬と一緒に走ることは楽しいことです。私たちの後ろを犬が追いかけて来るように喜びが私の後ろを追いかけてきます。わたしたちは後になって、あの時怒らずに良かったなあと振り返ることがあります。後になって怒りを爆発させなくてよかったなあと後でわかるのです。このように神様の恵みは、時間が経ってから恵みだったなあと思えることがあります。恵は後からもやってくるのです。私たちを追いかけてくるのです。

 最後に詩編は次のように語っています。「主の家に私は帰り、生涯そこに留まるであろう。」(6節)。

そして主の家、つまり神殿、神の宮、神の愛の中、神の栄光の中に、一生涯留まるのです。信仰の世界は神と共に住むことです。あなたは神の栄光の中にすでに住んでいるのです。

 私たちは今日も神の宮に招かれ、礼拝をすることができました。また日々見えざる神の宮、栄光の光輝く天の宮に招かれています。一緒に神の宮に入れられています。ここは神の宮です。共に神の宮に住めることを感謝しつつ今週を生きましょう。24710節には何度も「栄光に輝く王」という言葉が出てきます。7節「栄光に輝く王が来られる。」8節「栄光の王とは誰か。雄々しく戦われる主」9節「栄光に輝く王が来られる」10節「栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王」

栄光に輝く王は私たち入ろうとしておられます。心の門を開きましょう。頭を上げましょう。心の城門を大きく広げ栄光に輝く王を招き入れましょう。その時我々は栄光の住まいに住むのですから。