7/4 『聞くだけで終わらない』

聞くだけで終わらない ヤコブ1:19-27

 

Story1:軍事クーデターの中で

 ミャンマーで軍事クーデターが起こりました。すでに900名ほどの一般市民が命を落としています。本当に悲しいことです。

 38日、カチン州ミチーナーで一人のシスターが警察の隊列の前に進み出て行くニュース映像を見ました。白い衣を着たシスターは警察の隊列の面前で一般市民を銃撃しないように路上にひざまずいてお願いし、祈りを捧げました。銃で人々を殺さないように、暴力を振るわないように、願いました。シスターの名前はアン・ローザ・ヌ・タウンという方でした。          

ある人は軍隊や警官隊の前に祈りなんて力はないという方もあるでしょう。祈りをしても国軍が暴力をやめるわけないと思い人は多いでしょう。命が危ないのでやめた方が良いという方もあるでしょう。英雄気取りをするなという人もいるでしょう。理想的な行動は自分にはできないと思う方もあるでしょう。しかし平和を求める祈りは、効率や効き目の問題ではなく、平和を求める運動そのものです。

Story2:御言葉を聞く

今日の表題は御言葉を「聞くだけではなく、行動に移すように」という個所です。

聖書は「聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのにおそいようにしなさい。」(19)と私たちにアドバイスします。わたしたちは「あんたの言いたいことはぜんぶわかっている。」と言って相手のことを先取りしてしゃべることがあります。しかし相手のことをよく聞きなさいと聖書は言います。話すより聞くことを優先する、

そして怒る心をコントロールして遅くする。怒ることを、よくよく吟味し、「怒ること」を何度も考え直して、慎重に話すようにと語っています。「あなた怒っているでしょ。」というと「わたしは怒ってない。」と反応します。怒っていることに気づかないこともあります。

そして「人の怒りは神の義を全うしない。」(20)と語ります。怒る時は自分に正義があると考えて怒ります。一度火が付いた怒りは、心のコントロールを失わせ、言わずもがなのことまで言ってしまいます。時には暴力になることもあります。

 ですから、聖書は「あらゆる汚れやあふれるほどの悪を捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉はあなたがたの魂を救うことができます。」(21)と語ります。ここで植え付けるという言葉は英語では「インプラント」という言葉です。歯を骨まで埋め込むことに使われます。悪を捨て去り、心の深みまで、神の言葉を植え付け、御言葉を受け入れなさいと語っています。信仰が身につけるには時間が訓練が必要です。

 

Story3:御言葉を行う人に

次に聖書は「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけに終わってはなりません。」(22)と勧めます。聖書流の「言行一致」です。この道を行くようにと指し示します。

具体的に27節では「やもめが困っている時世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守るように」とヤコブは語っています。やもめを援けるようにと勧めます。

ヤコブの手紙は1:1によると離散したユダヤ人のキリスト者に書かれています。

この人たちは、クラウディウス皇帝によって迫害され、ユダヤの地を追放された人々です。難民のような生活をしていたと考えられます。ディアスポラのユダヤ人と言われ、食事や着るもの、仕事にも困っていました。人々の心も生活も荒んでいたのです。クリスチャンになっても、荒れた生活をしている人、信仰から離れる人も多かったのです。特に当時の寡婦は仕事も身よりもないのが普通でした。ですからヤコブは実際にこのような人々を助けるようにと励ましているのです。

みんな自分の生活が大変になると人など構っていられなくなります。でも少し心を広げて苦しんでいる人のことも助けましょうとヤコブは勧めるのです。

Story4:一心に見つめる

2324節「み言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、それがどのようであったかを忘れてしまいます。」とあります。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去るとそれがどのようであったかを忘れてしまう。」 

みなさんは一日何回くらい鑑をみますか。若い人はしょっちゅう鏡をみますね。出かける前に、トイレでも、電車でもファミマでも歩きながらも鏡を見ます。昔の鏡は今のように綺麗に移りませんでした。でも直ぐに自分の姿が気になるわけです。    

でもヤコブは言います。25節「しかし自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守るように。」と勧めています。見つめるのは自分の顔じゃないですよ。「今日の化粧は上手くできてるかしら」と、自分の姿を見つめることではないですよ。一所懸命見つめるの「自由を与える律法=イエス様の姿ですよ。」と勧めています。

皆さんはイエス様を見つめる回数と自分の姿を見つめる回数とどちらが多いでしょうか。

22節に「み言葉を行う人になりなさい。」とヤコブは勧めています。み言葉を完全に行った方は、イエス・キリストです。神の愛と神の御心を実践した方です。イエス様は「神様の言葉を言行一致で生きた方です」この方を見つめるようにと勧めているのです。

今日も主の晩餐式を行います。イエス様がわたしたちに体と血とを分けて下さったように、わたしたちも苦しんでいる人々に体と血とを分け与える実践をしていきたいと思います。主の晩餐式は言行一致に生きるようにと勧めています。