礼拝メッセージ 5/16『恵みによってのみ』

恵みによってのみ 使徒言行録十五章一~二十一節

Story1:伝統をどう考える

牧師をしていると色々なクリスチャンの方に出会います。ある方は自分の同僚の葬儀が仏式で行われました。その時に、クリスチャンのその方は、数珠を手に巻いて葬儀に出席しました。私は個人的にクリスチャンならそこまですることもないのではないかと思いました。クリスチャンも世の慣習に従って馴染んだ方が嫌われなくていい。わざわざ違ったことをすることもないだろうというのです。この方は教会の代表執事でした。  またあるクリスチャンの方は、自分は家族の反対を押し切って、神棚を全部焼いた。神棚と決別して新しく生きなおしたと言われました。強い信仰であるとは思います。親の宗教の中で無批判に生きるのは良くないと言われるのです。この夫妻は退職後に神学校へ行かれました。そして自力で開拓伝道を行いました。新しい伝道を開始しました。小さな教会でしたが、堅実な働きをしておられます。自分は無学な者だが「神の恵みによってのみ救われている」といつも告白されています。皆さんはどう思い、どう違う信仰の人に対応し、対応するでしょうか。

Story2:意見の違い

似たような問題が初代教会の人々の間にも起こりました。「割礼」の問題です。エルサレム教会で話し合いが行われました。 エルサレム教会で、ファリサイ派からクリスチャンになった人々は「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ。」(十五:五)と主張します。ファリサイ派ですから、今までの伝統や慣習を守るべきだと言うキリスト者です。彼らの伝統からすれば、ユダヤ教徒で割礼を受けたイエス様(ルカ二:二十一~二十三)の伝統を継承するように主張したわけです。これまでの伝統を大切にするキリスト者でした。異邦人からクリスチャンになった人々を批判しました。

一方アンティオキア教会のキリスト者は、異邦人のクリスチャンで、割礼を受けていない人々でした。割礼の伝統を知りません。アンティオケ教会の人びとは「割礼が絶対必要」とは思いません。ですからユダヤ教の伝統に立つ人々とは違った意見をもっていたのです。そこで協議が行われます。教会は意見が違う人々の集まりです。色々話し合う必要があります。それがエルサレム会議です。

Story3:聖霊とイエス様の恵み 

 エルサレム教会とアンティオキア教会の協議の結果を見てみましょう。それはペテロの言葉の中に示されています。二つの言葉が大切です。第一に「わたしを神様が選んだのは、異邦人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。・・・異邦人にも聖霊を与えて彼らを受け入れることを証明なさった。」(七~八節)と語ります。聖霊の働きです。これによってキリスト者となります。皆さんは聖霊の体験をしておられるでしょうか?聖霊が心の内に住んでくださる体験です。バプテスマ、祈りの生活、聖書を読む中で聖霊は働きます。この経験は涙の悔い改めと主に生涯を捧げたいと言う熱意を与えます。

 第二番目に、もう一つの大切な点がありました。それは十一節です。「わたしたちは主イエスの恵みによってのみ救われていると信じている」という言葉です。これは短い言葉です。しかし、とてつもなく重要な言葉です。信仰の根幹です。ラテン語で「ソラフィデイ」キリストの恵みのみがキリスト者にします。キリストの「恵み」とはイエス様の十字架の贖い、復活、来臨の希望、神の啓示、イエスの教えなどを含みます。あなたの信仰生活はキリスト中心になっているでしょうか。

Story4:キリストを証しする 

先週はアンティオケで「初めてキリスト者(クリスティアノイ)」と呼ばれるようになったことを学びました。彼は多くの異教の神々が取り巻く中で、「キリストは素晴らしい!キリストを知って下さい!キリストはあなたを見捨てません!キリストはあなたを励まし支えます。エクレッシア(イエス様との交わり)に入りましょう」と言い続けていたのでしょう。キリスト、キリストと言うなよ!と言われながらも言い続けたのです。だから「クリスチャン」とあだ名を付けられるくらいでした。彼らはイエス様の恵みを経験し語ったのです。私のクリスチャンに成りたて二年年目頃の写真があります。教会学校の先生を始めました。最初は4年生のクラスでした。戸惑いも多く、色々な疑問だらけでした。夏期学校があることも知りませんでした。 

 私はクリスチャンになって本当に嬉しくて、大学のチャペルの時間に三〇〇人を前に証しを買って出ました。そしてどんな職業に就くよりも良い仕事だと思って、牧師になる決心をしました。ゼミの友人たちはビックリしました。キリスト教にからめとられて、体制派に付いたという友人もいました。大学生伝道も教会で行いました。手作りのチラシを作ったりし始めました。福岡市内の他教会の青年たちと青年集会をやりましたしし、その嬉しさは今も変わることがありません。神様は道を開いて神学校へ行けました。またアメリカで学びたいと言う夢をも叶えて下しました。また宣教師として働きたいと言う夢もタイで叶いました。四十年の牧師としての生活の中で、約十年近くを海外で過ごせたことは感謝しきれない恵みです。感謝しています。イエス様の赦しと愛はわたしたちを生かすのです。何が出来たではありません。イエスの赦しと贖いが私を動かしているのだと思います。皆さんイエス様の恵みと聖霊の経験を是非求めて下さい。他はすべて添えて与えられます。