礼拝メッセージ 3/7『その日その時を知らないから』

その日その時を知らないから

マタイによる福音書25:113

Story 1:死後の世界・天国

どんな人でも「死後の世界」があるのだろうかと考えるのではないでしょうか。あるアンケートの結果によると、「死後の世界がある、来世がある」

と信じている人は22%だそうです。しかし宗教家では90%の人が「来世」はあると信じているそうです。死後の世界や天国などは科学的には証明できないし、テレビカメラで写して報告できるような場所でもありません。最近は死をどう迎えるかの研究が発達し、死の恐怖、死の孤独、死と肉体的痛みの緩和、平安な死、望ましい死の迎え方、死の哲学、臨死体験、死と葬儀などが研究されるようになりました。これらは「死学(タナトロジー)」と言われています。信仰をもって神の国を信じることができることは大変幸福なことであり、

神の国での主との再会や、神の国に身を委ねることができることは、「幸福な死」を迎える大切なテーマであると思います。いったいそれでは「天国」や「神の国」について聖書はどのように語っているのでしょうか。今日はそのことを学んでみたいと思います。

Story2:~のようなもの

イエス様は「天の国」を「たとえ」で話しました。「天の国は次のようなもの」と言って例えを語ります。(25:1)10人のおとめたちが「ともしび」をもって、花婿の到着を待っていました。5人の愚かなおとめは「灯」だけ持っていて「油」を持っていません。5人の賢いおとめたち「ともしび」と「油」の両方を持っていました。花婿が来るのが遅れたので、10人は寝込んでしまいます。

やがて急に花婿がやって来ます。油を持たない愚かなおとめたちは、油を買いに行くことになってしまいます。その間に用意のできていた賢いむすめたちは、花婿と共に宴席に入ります。やがて戸は閉められて、愚かなおとめたちは宴席に入ることが出来ませんでした。喜びの結婚式の宴席に参加できなかったのです。結婚式は意外と大変で、日程の確保から始まり、会場の確保、招待状、席の決定、引き出物の準備、お色直しの決定、予行練習、写真撮影、会場との打ち合わせなどの準備が必要です。

昔も今も結婚式には良き準備がひつようであることを背景にしているのです。

Story3:眠り込むおとめ

第一に「天の国」は「花婿が来ること」と関係しています。花婿とはイエス・キリストご自身、また神ご自身と言っても良いと思います。天の国は、人が死んでから行く場所ではなく、到来するものです。わたしたちの世界にやって来るものです。第二に「天の国」は婚宴の宴席に例えられています。婚宴の宴席は最も喜びの場所であり、幸福な時です。今どきの結婚式は思い出の写真、出会いのきっかけなどが紹介され、とても素晴らしいものです。そして両家への感謝をも現し素晴らしい時です。「天の国」は結婚式の楽しい宴席に近いところなのです。

第三に「天の国」は入るために充分な準備をするようにと注意が促されます。ここの部分に話は多くを割いています。これは、マタイ福音書が書かれた当時、「もう終末は来ない、もう終わりの時は待ちに待ったのだからもう来ないだろう」と終末への期待がうすらいで

いた信仰を反映しています。キリストの到来を期待しなくなり、人々は緊張感を無くしてしまい、眠ったような信仰になっていたのです。わたしたちも終末なんてもう来ない、神の言葉なんて影響力はない、神の審判や怒りなど気にしない信仰になります。イエス様を身近に感じることなく緊張感なしに信仰生活を送っていないでしょうか。皆さんはどうですか。

Story4:備えている

「花婿は眠り込んでいる時」に突然やって来ます。主の到来、終末は必ず到来することを示します。その時準備のないおとめたちは婚宴の席に入ることができません。婚宴の席に入る戸は閉められ、「わたしはあなたがたを知らない。」と言われてしまいます。準備して

いた賢いおとめたちが婚宴の席に招かれるのです。皆さんは主にお会いする準備はできているでしょうか。愛の主に出会う喜びと良き緊張をもって信仰生活を過ごしましょう。まとめの聖句は「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(25:13)となっています。花婿(イエス様)がいつ来るかは、人は知らないのです。その時は神の見ての中にあります。ですからいつキリストが再臨なさり、いつ主ご自身が到来しても対応できるようにしなさいと勧めます。今日のおとめたちの物語は、神に裁かれるから、その恐怖心から信仰を持たせようとすることではありません。この警告の物語は、わたしたちを準備できるものとして期待されており、「賢いおとめたち」に変わることが出来る者であるという可能性を示しているのです。この希望に生きることが信仰なのです。主はわたしたちに「喜びの宴席」に招こうとしておられます。神の国の喜びは必ずわたしたちに到来するのです。この国に確信を置いて日々を歩みましょう。主はあなたを「宴席の喜び」へ招待しているのです。