礼拝メッセージ 2/14 「疑問から始まる」

疑問から始まる

マタイ11章2ー19節「あなた?」

Story1:訊ねること

最近の「意識高い系」の人々の言葉です。

 

「彼女は彼のステイクホルダーでさ、ファッションがインフルエンサーだよね。でもそのはっきりした意識高い系のエビデンスが時々あいまいなときもあるね。このフェーズではこうするとかあのフェーズではこうしたほうがいいとか、互いに意見を出し合って

シナジーしていくのが大切だと思うんで、ハイスペックで、まあいろんなイシューリソリューションしていきます。」

 

耳慣れない言葉が使われ、それらの言葉の意味を訊かなければ、わかりません。

訊く、尋ねる、わからないことを問うことは意外と難しいことで、笑われるのがいやなものではないでしょうか。

 

「わたしの顔を尋ね求めよ」(詩編27:8)

「わたしを尋ね求めるならば見出し心を尽くしてわたしを求めるならば見出すであろう。」(エレミヤ29:13)と、

 

聖書中にも絶えず主を尋ね求め、熱心に主を求めるようにと神様は語っています。主を尋ね求めること

は、信仰の深い喜びへと繋がり、信仰の深みへ至ります。

 

Story2:疑問から

バプテスマのヨハネも新しい救い主に戸惑いを覚えました。

 

「来るべき方はあなたでしょうか。それとも他の方を待つべきでしょうか。」(10:3)

 

牢に閉じ込められたヨハネは「救い主が誰か」を待ち望みましたが、確信やこの人だと決断できなかったのです。彼の中に疑問や不安があったのです。ヨハネはそれを率直にイエス様に問いかけたのです。訊いたのです。

旧約新約を問わず、問いかけの疑問が新しい信仰を開示します。確信が持てないことを率直に神に語るのです。

イエス様自身も十字架に付けられた時に、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と疑問を投

げかけ、その十字架の意味、死の意味と目的を問いかけています。

信仰的な不安、聖書に対する疑問、教会や教会運営に対する質問などそのままに置いていくことは危険です。

不安と疑問の中から神の言葉の輝きが発光してくることを期待するのです。

イエス様は今日の個所で、ヨハネの疑問や不安に答えます。この応答は決定に大切な「キリストとは誰か」ということを答えるのです。あなたの疑問や不安は正直に、神に語っていいのです。それが「霊的刷新・成熟・変容」の始まりです。