9月6日礼拝メッセージ

        遠回りの愛情

「ちゃんと目見ながら答えたい」(乃木坂46


Story 1:遠回りの愛情

 「時間が欲しいの

  今の二人にとって

  とても大事な選択

  簡単に決められないわ

  愛しているから

  どんな結論だって

  ちゃんとその目見ながら

  答えたい

  遠回りの愛情」

これは乃木坂46のバラード調の歌の一節です。大切な告白を受けた女性が、大切な告白を自分なりに自分の告白として言葉にしたい、だから商店街の夕暮れの町を遠回りしながらでも、夕風に吹かれて考えている歌です。自分の告白について考えを急がずに、愛されていることはよくわかっているのですが、自分の思いをしっかり確認してから、告白としては遅くなっても良いから、相手の告白を受け入れたいという思いで書かれています。

 私たちには人生の大きな決断をするときには、少し遠回りをしてじっくり考えながら歩いていくことがあります。遠回りをすることは自分の確認であり、相手と自分を大切にしたい時でもあるのです。イスラエルの民にとって、荒野の旅とは、実はそのような思いを主なる神様と共に体験する時間なのではないかと思います。

Story 2:近道ではなく

 ヤーウェはイスラエルの人々を「ペリシテの道に導かず」遠回りの道に導きます。(17)ペリシテの道とは「海の道」とも呼ばれ、戦争、隊商の交易、旅の本道、大変有名な道でした。この道は効率も良く短時間で行くには良い道でした。しかしこの道は関所や盗賊や武装する人々も多い道でした。ヤーウェはこの道を避けて遠回りになるシナイ半島を南部へ向かう道に導きます。オアシスがある小さな町に沿って行く道でした。もちろん砂漠の道で、危険もあります。しかしゆっくり時間をかけていけば安全に通過できる道でもありました。でも時間は45倍はかかる道です。主は遠回りの道を共に歩まれるのです。この遠回りが必要でした。

 この時間の長さの中で主はイスラエルの民と話しながら進んでいくのです。イスラエルの民は砂漠の旅の苦しさに様々な嘆きを神に訴えますが、神は絶えず共にあり、話し、助け導きます。時間がかかりますが、その中で神とイスラエルの民は深い絆を結んでいくのです。

 信仰や神の愛を短時間で知ることも大切ですが、生涯と言う長い時間をかけて神の豊かさは体験なされ、今まで気づくことのかなった一層深い愛を体験していけるのです。それは告白の確信へと深まっていくものです

Story3 空を見上げて

「立ち止まり 空を見上げて 

 あきらめようかと悩んだ日 

 やさしくのべられた手は 

  何よりも温かいもので 

  今私は 迷いの中で  

 がむしゃらに光探してる 

 最後まであきらめないと 

  希望だけ握りしめてる」

この歌詞はEXCILEATSUSHIの作 詞、EGIRLSが歌っています。離別の経験をして苦しむか中で、友人が相談に乗ってくれたり、あきらめずに仕事を与えてくれたりする中で、あきらめそうになりながらも希望をしっかり握りめて生きようと決断する歌です。

 私たちの人生の中で戦おうと思っても立ち上がれないほど無力を感じることもあり、希望を失うこともあります。受験に失敗したり、子育てがうまくいかない、仕事や与えられて職場に希望が持てないなど多くの試練があるものです。そのような時に希望や勇気や望みや手助けを与えてくれる友人や家族をもてることは幸いなものです。希望は私たちに生きる力を与えます。

Story4:雲の柱、火の柱

「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた。・・・・昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」(2122節)   イスラエルの民は昼は酷暑の砂漠を行き、夜は街頭など全くない漆黒の闇の中を歩く毎日でした。初めてのその旅は道や方角も知ることのできない旅であったのです。しかし主は「先だって進み、導き、照らして共に歩まれた」のです。ここにはイスラエルの神がどんな神であるかが明確に示されています。この告白は聖書を通して貫徹されている告白です。詩編23編は「主はわたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行く時も、わたしは災いを恐れない。あなたはわたしと共にいて下さる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」と告白しています。神の与える試練の道、遠回りと思えるその道が、信仰者を力づけるのです。私たちは主が共におられ、助け導き、希望の光線を与えて下さるのですから、たゆまず進んでいくのです。

新生讃美歌2441節は次の様な歌詞です。 

「救い主にぞ われは仕えん  

 主は今生きて この世にあり 

 あたたき御手 やさしき声 

 わがかたわらにあるなり  

 主は生く 今日も共に  

 語たらい歩みて われを助く 

  主は生く 救いの主    

 われ知る主は生く わが心に」

共に主の先立ちを信じて歩んで参りましょう。