8月23日礼拝メッセージ

助け手がいてこそ

「山のアナ、アナ、アナ……」(三遊亭圓歌)
Story 1:吃音の圓歌師匠

 落語家に三遊亭圓歌という方がいます。この人は小さい時から吃音者だったそうです。幼少期は駄菓子屋を営む祖母の中沢タダさんという方と二人暮らしで貧乏だったそうです。下町の墨田区で育ちまして、小学校の先輩にアナウンサーの小川宏さんがいたそうです。吃音を笑われ、馬鹿にされ、からかわれて劣等感にさいなまれました。

  岩倉鉄道学校に入って卒業後に新大久保の駅員なりました。しかし吃音なので構内放送などはできないので、何とか直したいと思って、落語家の門をくぐったそうです。先代二代目圓歌の弟子になりました。しかし師匠の二代目圓歌も吃音だったそうです。師匠はあまり教えないのに、とても厳しい。スラスラと話すことが出来ずに、緊張してうまくならなかったそうです。遂に一時期逃げ出して、新潟に隠れ住んだ。この時にカール・ブッセの山のかなたの空と遠くと吃音や方言を混ぜた落語を思いついて、高座でやったら大ヒットしました。圓歌さんの落語にはたくさん吃音の人たちの話が盛り込まれています。モーセもスラスラ、サラサラ話せる人ではなかったけれども、主と対話してたくさん、教えてもらって、主の御用を果たしていった人です。

Story 2:口べたなモーセ

今日の個所でモーセは「自分は唇に割礼のない者である」(630)と語っています。はっきりとヤーウェなる神を語れないという意味です。彼はたくさん不安がり、迷い、神に問いかけます。「自分はいったい何者でしょう」(311)、「わたしがファラオのもとへ行くのですか」(311)、「人が神の名は何というのか尋ねて来たら何と答えればいいですか」(313)、「エジプトの民は神を信用せず、私の言うことを聞かないでしょう。」(41)。「わたしはもともと弁が立つ方ではありません。全くわたしは口が重く、舌の重たい者なのです。」(410)。「ああ、主よ、どうぞ、誰か他の人を見つけてお遣わし下さい。」(413)。「主はこれを聞いて怒りを発せられた」(414)とあります。エジプトに帰ったモーセとアロンはファラオに語りますが、逆にファラオは労働をきつくするし、イスラエルの民はモーセやアロンに「どうしてくれるんだ」と抗議の声をあげます。モーセは主に「わたしを遣わされたのは何故ですか。」(522)と主を問いかけます。モーセの問いかけはモーセが王や宮廷の、世の中の複雑さ、厳しさを体験したからでしょう。決して彼が不信仰だったとは思いません。

Story3:助け手を与える

 人生良くしたものです。神様は口下手なモーセに兄のアロンを助け手として与えます。「見よ、あなたをファラオに対しては神の代わりとする、兄のアロンはあなたの預言者となる、兄のアロンがエジプトからイスラエル人を去らせるようにファラオに語る。」(72)とヤーウェは語ります。助け手を与えて、モーセと共にエジプトから脱出する働きを一緒にすると語りかけるのです。6章で、主はすでにアロンとモーセ二人を良き助け手として用いて下さっています。再確認の言葉です。そしてモーセとアロンの二人は実際にイスラエル人をエジプトから解放する働きを進めて行きました。アロンはやがてイスラエルの最初の大祭司となった人です。彼の子孫はレビ族の祭司職を独占したほどの名家となります。しかしアロンにも失敗があったことを聖書は書いています。最も有名なのは「金の子牛事件」でしょう。アロンはモーセを待てずに「金の子牛」を作ってしまうのです。そんな弱さをアロン自身も持っていました。でも神様は大胆に用いて下さるのです。イスラエルの民がエジプトにいたのは430(1250)、エジプトから出て行ったのは、壮年だけで60万人(1237)と聖書にあります。二人は、大変なリーダーの使命を果たすのです。

Story4:もう1人の助け手

 

もう一人助け手います。42426節短い話があります。「主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。とっさに石刀を手に取り息子の包皮を切り取り、それを両足に付け(性器に付け)、私にとって、『あなたは血の花婿です。』と叫んだので、主は彼を離された。その時割礼のゆえに血の花嫁と言ったのである。」とあります。モーセはエジプトで育ち割礼を受けていない。ツィッポラの機転の利いた助けで、モーセは殺されず、助けられました。この機転がなければ、モーセの命はなかったのです。「唇に割礼がない者」とモーセが語った時、彼はツィッポラに助けられたことを思い起こしていたのです。人は英雄に成りたいものです。意外と自分が助けられているということに気づくのは難しいものです。助ける人は目立たず、助けられる人は自分しか見えないからです。新生讃美歌14番の3番には、次のようにあります。「主たすけたもう弱きわれ苦しみより立ち上がり、共に進もう主たすけたもう弱きわれまことに主は愛の神ハレルヤ」 主は助ける方、この安心の中で、共に生活して参りましょう。