8月2日礼拝メッセージ

痛みを知った。

「粘土こね、れんが焼き・・・・彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。」(出エ114節)

Story 1 教会の旅

わたしたちの「母教会」は藤沢バプテスト教会です。鵠沼にあります。1990年代藤沢教会は藤沢市内北部開拓と新会堂建築の二つの幻を持っていました。北部開拓は石井兄弟の家で開始されました。93年伝道所として伝道を開始しました。湘南台駅の付近のビルの一室などで集会を続けました。10年後の03年に現在のビルを購入し、定着して集会を持つようになりました。母教会よりの支援、教会員の皆さんの献金協力、教会債の発行によって購入できました。同じ03年に教会組織を行い自立した教会となりました。ビル購入17年・自立17年になります。04年に日本バプテスト連盟定期総会で、正式に連盟加入が認められ、全国270番目の教会となりました。約20年の物語です。2019年教会債の返済も完全に終わることが出来ました。不思議な導きで墓地も購入し、これまで100名の方々が教会員となりました。天に召された方は10名です。教会債の発行を終えた今は、次のステップを考えています。

Story2 苦しみ

わたしたちの教会に「教会組織や独立」と言った大切な節目があります。皆さんにも誕生日、入園日、卒業式、入社日、退職年と言った節目の時があるでしょう。「出エジプトの物語」はそんな大切な節目の出来事です。わたしは19747月にバプテスマを受けてクリスチャンとなりました。この日は決して忘れることができない決定的な日です。わたしにとって大きな節目です。その後順風満帆な生活であったわけではありません。様々な困難や試練や苦難や個人の限界を感じることも多かったのです。わたしたちの人生や教会の歴史もスンナリと行くわけではありません。各自の十字架があり、苦闘があります。わたしたちは節目を通過しながら、色々な苦しみを経験しながら生きているのです。

Story 3 奴隷の生活

今日の聖書の個所を見ますとイスラエルの人々が苦労していることがわかります。「強制労働・監督・重労働・虐待・ピトラムの建設」〈11〉、「エジプト人は嫌悪した。」〈12〉、「イスラエル人を酷使し」〈13〉、「重労働で、イスラエル人を重労働で生活を脅かした。」〈14〉、「労働はいずれも過酷を極めた」〈14〉まことに、厳しい言葉です。寄留の外国人として迫害を受けつつ、苦難の生活を続けていたのです。

私たちの教会の歴史も、私たちの個人の歴史も、黙って耐えなければならない時期があり、黙々として仕事を継続しなければならない時期もあります。イスラエルの人々はまさにそのような時期を過ごしていたのです。

福島第一バプテスト教会の話をご存じでしょう。2011311日に大震災が起こり、会堂は破壊され、使用不可能になったのです。原発事故もおこりました。教会は10K 圏内にありました。教会は順調に成長していましたが、この原発事故で会堂を失い、教会員を失い、活動の場を失いました。「原子力緊急事態宣言」が出る中で、教会員同士が、福島県内に広がる避難所を回って礼拝を行いました。やっと落ち着いて教会の事務所を置いたのは、東京の奥多摩でした。奥多摩で信徒同士が励まし合い共同生活を続け、集会などを継続していきました。そして佐藤 彰牧師の言葉を借りれば、「流浪との民・流浪の教会」となってしまったのです。今の私たち以上の苦難ではないでしょうか。しかしその中から福島の地に再び会堂を建設するビジョンも生まれ、教会は再建築を目指し、新会堂をも建築していきました。コロナウィルスで全国の諸教会が苦労しています。この苦難の時にこそ主に寄り添い静かにその道を祈り求め、伝道を継続していきたいのです。

Story解放の主と共に

聖書の神はどんな神でしょうか。それは3710節にあります。読んでみましょう。〈聖書朗読〉。そうです。神は「叫び声を聴く方」「その痛みを知る方」(7)、「救いだし、乳と蜜の流れる土地に導き登る」(8)、「わたしたちを遣わして、エジプトから連れ出す方」(10)です。神は痛みを知る方です。決して見放さない。そして

痛みを聴き、その痛みから連れ出していく方です。解放する方です。神は我々の祈りを聴き、痛みを聴き取り、嘆きを聴いておられるのです。それは今も決して変わることのない事実です。神は痛みを知る方であること過小評価してはいけません。わたしたちは今日を明日を、開放する神に進らして進んでいくことが出来ます。解放の希望は主にあるのです。解放と希望を語り続ける者として立ち上がろうではありませんか。

キリストは言われました。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(ヨハネ6:54)。今日主の晩餐に与かるものは終わりの日に復活し、キリストと再会し、神と共に住むのです。この約束と希望の中にあるのです。