7月19日礼拝メッセージ

朝の光がさす

「すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。」(テサロニケ2:2)

Story 1  朝の光

ラビ「どのように夜明け、つまり夜が終わり、昼間の始まる時間を決めることができるだろうか?」

生徒「遠くから犬と羊と狼を見分けることができるときです。」

ラビ「違う。」

生徒「では教えてください。」 

ラビ「ほかの人の顔をのぞきこんで自分の兄弟姉妹であることを判別できるにたる充分な光がある時だ。それまでは夜で、暗闇がわたしたちをおおっている。」ユダヤ教ラビの逸話です。神様の愛の光が十分に差せば、互いに兄弟姉妹であることを判別することができるのです。相手を羊・狼・犬などと思い、敵、競争相手、変えるべき人間、使用人、部下などと思っている時はまだ朝は来ていないのです。あなたには神様の光、朝の光がさしていますか?

Story2 やさしい光

現代では多くの人が暗闇の中で生きています。自分の兄弟姉妹と実感できることなく、生きています。出し抜くべき商売相手、成績の競争相手、油断できない人、言ってることとやってることが違ういい加減な人間、自分の理想とは違う上司、働きの悪い部下、生産性のない愚かな部下や上司等と思っているのではないでしょうか。しかし聖書の見方は違うのです。人は罪人であるという共通項を持ち、人はすべて愛されて初めて存在が認められることが大切です。神様の愛の光の中で、すべての人を見ます。自分と隣人はまったく同じ者なのです。すべての人が神様の愛の対象であり、神の目にとってすべての人が大切なのです。イエス様は「隣人を自分自身のように愛しなさい。」と言われました。自分も他者も愛されるべき存在であることを語っておられるのです。朝の光の柔らかさはそれを判別させてくれる優しい光です。自分の仲間、兄弟姉妹だと気づくのです。

Story 3 終末の光 テサロニケ2章は、半分が終末の様子を描きます。不法の者、滅びの子、傲慢な者、神殿に座り込む者、自分こそ神であるという者、神に対する反逆、偽りの奇跡としるし、不義と欺きが起こるのです。(17節)しかしパウロは動揺したり、慌てふためいたり、分別をなくしたり、だまされたりしないようにしなさい、と語ります。なぜなら、主イエスがご自分の口から吐く息やみ姿の輝かしい光で、このようなものを滅ぼしてしまうからです。(28)。朝の光は悪しきものを溶かし、審判し、退けます。 さらに2章後半では次のように語ります。「神は霊の力で、救われるべき者の初穂としてあなたがたを選んだ。」(13)、「主イエスの栄光にあずからせるために選んだ。」(14)、「わたしたちは(栄光へと)招かれている。」(14)、「神は永遠の慰めと希望とを恵によって与えて下さる。」(16)と語ります。 

 終末のみ姿の栄光は、わたしたちを招き、救いへ導き入れます。この朝の光の中で、すべての人を兄弟姉妹として、同じ仲間として見るのです。         

Story4 命を勝ち取れ

最後に、終末についてのイエス様自身の言葉を紹介します。ルカ21章です。あなたがたは戦争、暴動、地震、飢饉、恐ろしい現象、さらに迫害、裏切り、殺害、親族から憎まれることを経験する。しかし「世の終わりはすぐには来ない。」(219)と語ります。 と同時にイエス様は、終末の混乱の中で、「どんな反対者でも、対抗も反論もできない言葉と知恵をあなたがたに授ける。」(2115)と約束します。朝の出来事です。だから「忍耐によって、命の言葉を勝ち取りなさい。」(2119)と語ります。終末は破壊と混乱の時であるでしょう。しかし主は確かな確信の言葉、救いの言葉を与えるのです。その時慌てる、怒る、失望する、混乱する、敵対する、動揺して分別を無くすることはないのです。必要なのは忍耐です。終末の混乱や恐怖の中で、神は必ず「反対も反論もできない神の言葉・命の言葉」を与えて下さる。この「神の言葉、命」を獲得するために、希望と信頼を持って、静かに落ち着いて忍耐深く生活するのです。怒らず忍耐して、神の言葉を待つのです。終末とは、柔らかい朝の光の中に招かれ、神の命の言葉を受ける時です。それは明るい救いの朝日が差し込む希望の時です。救いは確実です。落ち着いて怒ることなく生活しましょう。