7月4日礼拝メッセージ

あなたにはうそが言えない。(石井錦一「信じられない日の祈り」)

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。(テサ51618

Story 1 あなたには

神様 うそとごまかしが わたしの生活の中にいつもあります  ほんとうのことを言う勇気がないのです。

この人にほんとうのことを言わなければと 心に決めて話し始めている中に すべてを告げたら もう二度と会えない、きっと 私との交わりを断つと思います。〈中略〉

うそもごまかしもしない人生こそ、本当に正直な人生と思ってきました。でも神様 この世の中には ほんとうのことを言ったら しあわせな生活のすべてを失ってしまう人がいます。人を傷つけ 苦しまないためにほんとうのことを言えないでいる人がいます。

私もいつの間にか やさしい うその言葉とあたたかいごまかしに生きています。うそとごまかしに生きた日に ただあなたに向かって ほんとうのことを訴えつづけます。 あなたにだけには うそが言えないのです。」これは牧師・石井錦一の詩です。人が本当の心を語ることは何と困難なことでしょう。人には言えない心は、神様のみに語ることができます。そしてその語れない本当の思いを主はご存じです。

Story2 イエスの十字架  イエス・キリストはユダに裏切られ、弟子たちは逃亡します。武器を持つ神殿守護隊に逮捕され、律法学者やファリサイ派の宗教家に捕らえられます。大祭司カイアファ、総督ピラトの前で尋問され、人々の前にさらされます。兵士たちに叩かれ、からかわれ、いばらの冠を被せられ、衣服は剥ぎ取られ、唾を吐かれ、鞭うたれます。十字架に付けられて激痛に苦しみ、笑い者とされて殺害されます。イエス様は、ほとんどなすがままにされ、自分で抵抗する姿はまったくありません。なすがままの屈辱を受け、無言のまま「なぶり者」とされてしまいます

Story3 先手を打つ

 このような屈辱的な生き方は現代的ではありません。やったらやりかえす、いわれのないない苦しみを与えるものは排除し、自分の主体やプライドを犯す者に屈従することをしてはなりません。「自分から積極的に行動し、先手を打って自分が生き延びること」が現代の生き方です。

またこのような方法がとれない場合、人は不安になり、いら立ち、攻撃的になり、相手を苦しめるために深い憎しみを持ちます。そしてあせり、怒り、自己防衛の攻撃や無視に出ます。

また、このような状況から逃げる、関わらない人もいます。「一方的苦難を受ける」ことは、損なことであり、苦難に会う前に「避ける」のです。イエスのように「なすがままに」されることは、「賢い生き方」ではないのです。「犠牲になり、損をする前に」早めに身を引くのです

Story  受動的能動

パウロは十字架の出来事を解釈して神について、「わたしたちすべてのために、御子をさえ惜しまず、死に渡された方」(ロマ832)と言っています。神は「無力な十字架、愚かな十字架」にキリストを「神ご自身の意思をもって引き渡された」のです。それが「神の行為、神がキリストに与えた使命」でした。

「なすがままにされること」「何の抵抗もせず、打たれるままに死ぬこと」「人の罪を負うこと」「十字架に付けられるという愚かな道」によってもまた、神の使命を生き抜かれたのです。このようにしてイエス様は「神の御心を成し遂げた」のです。

イエスは怒ることなく、論議することなく、十字架を逃避することなく、神にその身を投げかけます。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てなったのですか」という最も深い思い、祈りと孤独を知っていたのは、ただ神のみでした。キリストの十字架の沈黙を知るのは神のみでした。

 

わたしたちは苦難を負うこと、人の罪を負うこともまた積極的な信仰姿勢であることを忘れてはなりません。その時人は「打たれる者の心」が見えないでしょう。しかし神とキリストと聖なる霊は、わたしたちの「人に語れない悲しみ」を知っておられるのです。だから常に喜んでいられるのです。人には理解できない心の語りかけを、知っているのは、神のみなのです。この世界が救いの世界です。