6月14日礼拝メッセージ

モチベーション下げマンとの戦い方 (西野一輝)

わたしたちは神に認められ、福音を委ねられているからこそ(テサ2:4)

Story 1 下げマンと戦う

オリンピックが近いせいか、最近「モチベーションを上げる、下げる、持続する」という言葉を良く耳にする。現代は「モチベーションを自らうまくマネジメントする」時代なのだ。やる気を失わせるような一言に一喜一憂することなく、人生楽して生きようとするだけの「モチベーション下げマン(MSM)」にも対応しなければならない。また仕事のマンネリ化でモチベーションが低下している自分自身とも向き合うこともある。自分がやりたくない仕事が回って来て、損な仕事をやらされ、仕事のモチベーションを失うこともある。わたしたちは揺れ動くモチベーションの嵐の中で生きている。上記の題はそんなモチベションとの付き合い方を書いている本の題名である。

Story   モチベの危機

パウロの宣教活も自分の宣教のモチベーションとの闘い、また福音を拒否する人々との戦い、いや!自分の罪の深さとの戦いでもあって、それは「モチベを下げる人々や出来事や自分」との戦いであったと思う。彼は投獄、鞭打ち、町からの追放、だまし討ち、盗賊、難破、など幾多の「伝道のモチベ喪失」の危機との戦いを経験する。

 わたしたちの日常もモチベ喪失の危機に見舞われる。子は「親は自分の思いを理解していない」と思う、「思ったように子は育たない」と親は思う、お金は厳しい、人間関係は理想とおりにはいかない。生きるモチベ、信仰のモチベは低いものとなる。

わたしたちの伝道の計画も幾多のモチベ喪失の危機を経験する。やっても結果が出ない、人間関係は悪くなる、お金がない、病気になってやる気がでない、など多くの伝道のモチベ喪失の危機を経験する。モチベは上下するのがあたりまえだが、しかしイエスは、長期的・永続する動機、人格成熟への動機(モチベーション)を与える。

Story3 モチベの根拠

パウロの宣教のモチベ、伝道者としての強い動機はどこから来たのだろうか。パウロはそれを語る。「神に勇気づけられ」(2)、「神に認められ、福音を委ねられ」(4)、「神が証ししてくれる」(5、10)と語る。パウロの宣教のモチベ(動機)は、神ご自身に根拠を置いている。パウロの宣教のモチベ(動機)は「神との関係」に根拠を持つ。イエスはパウロを愛し、神はパウロを支え、聖霊はパウロを慰め、福音を委ねて下さる。(24

モチベの根拠は人には寄らない。人に根拠を置けば、「迷い、不純な動機、ごまかし」(3)、「人に喜ばれる、へつらい、口実、かすめ取り、人間の誉れを求める」(5)「使徒としての権威の乱用」(7)という「堕罪した人間」中心となる。これは「低いモチベ」となるのであり、ボンフェッファが言う「安価な恵み」となるのである。これでは「神の真理・十字架」を語ることはできないし、「神の言葉」(213)に立つこともできない。

Story4 栄光への招き

さらに、パウロは次のように語る。「ご自身の国と栄光に与らせようと、神はあなたがたを招いておられる。」(12)「あなたがたの霊も魂も何一つ欠けた所のないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストが来られるとき、非のうちどころのない者として下さいます。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」(52324)、「わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれた。」(テサ2:1314)と。これらは、永遠の神が与える「人が生きるモチベーション」である。「イエス・キリストの栄光にあずかる」という神の招きは、不変であり、永遠であり、貫徹されるものであり、人によって決して左右されない不動の約束である。これが今流行りの言葉で言えば「サステイナブル・モチベ」だ!!