モチベーション下げマンとの戦い方 (西野一輝)
わたしたちは神に認められ、福音を委ねられているからこそ(Ⅰテサ2:4)
Story 1 下げマンと戦う
オリンピックが近いせいか、最近「モチベーションを上げる、下げる、持続する」という言葉を良く耳にする。現代は「モチベーションを自らうまくマネジメントする」時代なのだ。やる気を失わせるような一言に一喜一憂することなく、人生楽して生きようとするだけの「モチベーション下げマン(MSM)」にも対応しなければならない。また仕事のマンネリ化でモチベーションが低下している自分自身とも向き合うこともある。自分がやりたくない仕事が回って来て、損な仕事をやらされ、仕事のモチベーションを失うこともある。わたしたちは揺れ動くモチベーションの嵐の中で生きている。上記の題はそんなモチベ―ションとの付き合い方を書いている本の題名である。
Story 2 モチベの危機
パウロの宣教活も自分の宣教のモチベーションとの闘い、また福音を拒否する人々との戦い、いや!自分の罪の深さとの戦いでもあって、それは「モチベを下げる人々や出来事や自分」との戦いであったと思う。彼は投獄、鞭打ち、町からの追放、だまし討ち、盗賊、難破、など幾多の「伝道のモチベ喪失」の危機との戦いを経験する。
わたしたちの日常もモチベ喪失の危機に見舞われる。子は「親は自分の思いを理解していない」と思う、「思ったように子は育たない」と親は思う、お金は厳しい、人間関係は理想とおりにはいかない。生きるモチベ、信仰のモチベは低いものとなる。
わたしたちの伝道の計画も幾多のモチベ喪失の危機を経験する。やっても結果が出ない、人間関係は悪くなる、お金がない、病気になってやる気がでない、など多くの伝道のモチベ喪失の危機を経験する。モチベは上下するのがあたりまえだが、しかしイエスは、長期的・永続する動機、人格成熟への動機(モチベーション)を与える。
Story3 モチベの根拠
パウロの宣教のモチベ、伝道者としての強い動機はどこから来たのだろうか。パウロはそれを語る。「神に勇気づけられ」(2)、「神に認められ、福音を委ねられ」(4)、「神が証ししてくれる」(5、10)と語る。パウロの宣教のモチベ(動機)は、神ご自身に根拠を置いている。パウロの宣教のモチベ(動機)は「神との関係」に根拠を持つ。イエスはパウロを愛し、神はパウロを支え、聖霊はパウロを慰め、福音を委ねて下さる。(2:4)
モチベの根拠は人には寄らない。人に根拠を置けば、「迷い、不純な動機、ごまかし」(3)、「人に喜ばれる、へつらい、口実、かすめ取り、人間の誉れを求める」(5)「使徒としての権威の乱用」(7)という「堕罪した人間」中心となる。これは「低いモチベ」となるのであり、ボンフェッファ―が言う「安価な恵み」となるのである。これでは「神の真理・十字架」を語ることはできないし、「神の言葉」(2:13)に立つこともできない。
Story4 栄光への招き
さらに、パウロは次のように語る。「ご自身の国と栄光に与らせようと、神はあなたがたを招いておられる。」(12)「あなたがたの霊も魂も何一つ欠けた所のないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストが来られるとき、非のうちどころのない者として下さいます。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」(5:23-24)、「わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれた。」(Ⅱテサ2:13-14)と。これらは、永遠の神が与える「人が生きるモチベーション」である。「イエス・キリストの栄光にあずかる」という神の招きは、不変であり、永遠であり、貫徹されるものであり、人によって決して左右されない不動の約束である。これが今流行りの言葉で言えば「サステイナブル・モチベ」だ!!