5月31日礼拝メッセージ

はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうして我は勝つのだ  (ガンジー)

聖書:使徒言行録104448

異邦人の上にも注がれるのを見た

この言葉はマハトマ・ガンジーの言葉です。公民権運動で暗殺されたキング牧師が行った「ワシントン大行進」はガンジーの「塩の行進」にヒントを得たものでした。ガンジーの運動は激しい反対運動や反対派の暴力にさらされた運動で、ガンジー自身もキング牧師と同じく銃殺されてしまいます。    

この言葉はイエス様の「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活する」(マルコ831)を連想させます。人々の無理解、誤解、批判、無視、軽蔑、暴力、さらし者にされる、からかわれ、あざけられ、十字架で殺害される道をキリストは歩みました。神の御心を示すためにすべてを耐え、すべてを忍び、すべてを捧げて生きられたのです。この生き方をするようにとキリストは模範を示しました。

Story1 これらのことを

 本日の個所は聖霊の働きの個所です。しかし「ペテロがこれらのことをなおも話し続けていると」(44)聖霊が降ったのです。「これらのこと」とは一体なんでしょうか。それは3443節までのペテロの説教のことです。この説教の中心はナザレのイエスのこと神が聖霊と力によってイエスに油を注いだイエスは人々を助け、悪魔を払った人々はこのイエスを殺害した神はイエスを三日目に復活させ、一緒に食事をしたその証人として弟子たちを派遣したことなどです。キリストの出来事と聖霊はしっかりと繋がっているのです。イエス・キリストの出来事こそが聖霊の働く源なのです。聖霊はキリスト・イエスです

 人は多くの苦難、苦しみ、無理解、誤解、多くの批判、自分と他者の罪の言い知れぬ深淵、あせりや葛藤の中で、生き抜くことを求められます。十字架に付けられる勇気と献身、「必定の十字架」なしでは、真理を語ることは出来ないのです。

Story2異邦人の上にも

聖霊の物語はさらに続きます。「聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。」(4546節)この物語はコロネリウスというギリシャ人の家での出来事です。彼は軍人であり、異邦人でした。異邦人とは外国人、異国の人という意味もありますが、宗教的に祝福からは、あずかれない人という意味もあります。

 信仰はキリスト者のみの信仰ではないのです。自分には関係がないと思っているあなた自身、神の祝福とは関係がないと思っているあなた自身にも深く関係するものです。真理・力・命の聖霊は皆さんにも必ず働くのです。

 私が教会に行き始めたのは大学生になってからです。教会に行くとすでに一種のグループが出来上がっており、みんながツーカーの仲間で、非常に入り難いでした。「教会の既存の文化」に馴染むことは容易ではありません。聖書も礼拝も規則も知らずに、将に私は「異邦人」でした。

 聖書はこのような「異邦人」の私にも語りかけて下さり、教会に通って3年後にバプテスマを受けることが出来ました。神から遠く離れているわたしにも語りかける方であることを実感しています。「ユダヤ人ではない、異邦人の日本人にも」働きかけて下さるのです。私にとってこの招きは人生の喜びの原点となり、自分の命よりも大切なものの発見でした。命の源の「命」は私を深い虚無感から救い出してくれたのです。主は今日もあなたに聖霊を与えようと願っておられます。十字架のキリストに基づく、聖霊の知恵、力、希望は必ず到来することに、期待と希望を置き続けるものでありましょう。来たりませ!聖霊!